西郷隆盛、伊藤博文、原敬・・・日本を動かした男たちの人たらしテクニック

人間関係の太さ、細さが成否を決める政治家の世界。そこで生き残っていくためには、あるいは頂点を極めるには「人たらし」の技術が必須です。これはビジネスの世界でも同じです。「あのとき取引先にコネクションがあれば」なんて後悔は誰もがしている経験ではないでしょうか。ここではそんな経験を繰り返さないために必要な、日本を動かした政治家たちの「人たらし」テクニックを紹介します。

首相になる秘訣:竹下登

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竹下登元総理は人間関係の重要性を認識し、徹底して努力する人だったと言います。それに関して、石破茂議員がこんなエピソードが残っています。

竹下氏がまだ総理だった頃、現在の国務大臣石破茂氏はまだ平議員でした。そんな石破氏が鳩山由紀夫氏など若手議員と共に竹下氏の自宅を訪ねたときのことです。

「君たち、これが首相になる秘訣だよ。」

そう言って竹下氏が取り出したのは、巻物のようなものでした。中を見ると、縦軸に月、横軸に日がかかれてあり、マス目には与野党の議員の名前がびっしり。

「こいつはなんですか。」と石破氏たちが尋ねると、竹下氏は「お前たちはバカだなあ。」といって、こう続けます。

「国会議員全員の誕生日だよ。」

竹下氏は与野党問わず全議員の誕生日を把握していたのだそうです。例えば予算委員会などで議会が始まる前に、国会内ですれ違った敵対政党の議員に「誕生日だろ、おめでとう。」と言っていたのだとか。これに毒気を抜かれた相手は真っ向から戦いにくくなる、というわけです。

当時議員の便覧には誕生日が記載されていなかったので、竹下氏は自分でこの巻物を作り、そして覚えていたのだろうと石破氏は語ります。人一倍努力して人間関係を築いていく。この姿勢が竹下氏の「人たらし」の方法論だったのです。

全ての人を大切にする!:原敬

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爵位の受け取りを固く辞したことから「平民宰相」と呼ばれ、民衆の支持を得ていた原敬元首相もまた、人たらしの人でした。彼にはこんなエピソードが残っています。

原氏がまだ政友会総裁であったころ、毎朝数十人の来客の話を全て聞くようにしていたそうです。受付順で自分のところへやってくる訪問客のうち、彼は最初のお客に必ずこう言っていたのだそうです。

「君の話は、いの一番に聞かねばならんと思ってね。」

これだけなら普通の人です。しかし政界の傑物になるにはもう一歩必要です。原氏は最後の人にはこう言っていたのです。

「君の話は、ゆっくり聞かねばならんと思って、最後までお待ち願った。」

このエピソード、まさに「人たらし」という感じがします。「人の気持ちを大切にする」とか「気配りをする」という程度なら誰もがやれることです。ところが「全ての人を大切にする」となると話は別です。難易度は一気に跳ね上がります。しかしこれを実行することこそ、「平民宰相」たる所以なのです。

他を責めず、自らを痛めつけよ:西郷隆盛

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「維新の三傑」と呼ばれる西郷隆盛も「人たらし」の人でした。彼の人心掌握(術というよりは)力を示すエピソードは数多くありますが、そのうちの一つを紹介しておきましょう。

江戸末期の開国に反対する者たちを弾圧した「安政の大獄」の際、かねてから尊王の大義を唱えて活動していた、勤王の僧月照の身が危うくなります。その際、西郷は彼に「必ず薩摩へ連れて行き、君を保護する。」と約束しました。しかし、西郷が彼を薩摩藩に連れて行くと、藩はこれを拒否。逆に西郷にこう言い渡します。

「月照を日向に連行するとともに、その途中でやつを斬ってしまえ。」

西郷のイメージからすると、こんなことを言われれば暴れ狂いそうな感じがしますが、実際は予想外の行動に出ます。なんと月照と抱き合って錦江湾へと身投げしたのです。もちろん西郷はこの時死んだわけではありませんが、何かに対する抗議をするために自らを犠牲にするという方法は、究極の泣き落としともいうべき捨て身の先方です。

何か意に沿わないことがあって、それを相手にぶつけるのは簡単です。しかしそこでぐっとこらえ、自分を痛めつけて抗議とすれば、相手方からすれば「もう、しょうがないなあ。」と折れざるを得ません。西郷の生き様からはそんなギリギリの人心掌握力を感じ取ることができます。

私欲などとうに捨てた:伊藤博文

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日本の初代総理大臣、伊藤博文もまた人心掌握術に長けた人たらしだったといいます。

日露戦争の真っ只中、このままでは戦費が底をつきジリ貧になると早くから気付いていた伊藤は、当時のアメリカ大統領ルーズベルトに講和条約の調停役を頼むべく、腹心の金子堅太郎を呼びます。

伊藤は金子にルーズベルトのハーバード大の同期と見込んでこの重要な任務を命じたわけですが、金子はこれを断ります。理由を聞けば「成功するかどうかわからないものを、受けるわけにはいきません」とのこと。その金子に伊藤は次のような旨を伝えます。

ロシアとの戦いで、日本が確実に勝つなんて思っているものは一人もいない。だからと言ってここまで来て退くわけにもいかない。成功不成功などと言っておる状況ではないのだ。私のようなものは、爵位も財産も、何もかも天皇陛下から賜ったもの。今これらを全て陛下に返して、全てを賭ける時が来たと思う。万が一、ロシアが日本の本土に迫った時は、命のある限り戦ってみせる。だから君もその覚悟でアメリカに行って欲しいのだ。

この言葉に感銘を受けた金子はアメリカに渡り、見事ポーツマス条約締結を成功させます。人を動かすために「私欲」をすっかり捨ててしまう。これは何も歴史を動かすような場面でなくとも、必要な振る舞いなのではないでしょうか。

人を動かすのに「近道」はない
いかがでしょうか。これらの政界の傑物たちの「人たらし」の方法を見ていると、人を動かすための方法はあっても、近道なんてないのだということが見えてきます。人を惹きつけるのは、小手先の技術ではなく、大きな哲学や大義なのです。その哲学や大義を学び、自分の血肉とした時、きっと自然と「人たらし」の方法を身につけているはずです。

[文・編集] サムライト編集部