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多くの人に愛された社長
2015年7月11日。世界中の人に惜しまれ、任天堂代表取締役社長の岩田聡さんが亡くなりました。スマートデバイス向けの事業の開発を発表し、事業構成の変革に乗り出した矢先のことでした。
今なお、動画投稿サイトやイラスト投稿サイト、SNSには多くの追悼のメッセージが寄せられています。かつて、日本でここまで愛される経営者がいただろうかと、どれも胸が熱くなるものばかりです。
天才プログラマの任天堂社長 岩田聡の逸話
「傍観者じゃなくて当事者になりたいんです」
岩田社長は、以前ほぼ日刊イトイ新聞でこう語り、常に「ユーザー目線」で、全ての人を対象としたゲームを作り続けてきました。
星のカービィやスマッシュブラザーズシリーズなど、任天堂の代表作は数え切れません。そんな「ユーザー目線」の作品は、どのようにして生まれるのか。岩田社長の魅力と共に、「ユーザー目線」の作り方に迫ります。
名作「MOTHER2」を導いた技術力

画像出典:Flickr Bryan Ochalla
任天堂に入社する以前は、HAL研究所で社長として仕事をしていました。就任後も、機会を見つけては開発の現場に赴いていた岩田社長。「MOTHER2」開発の助け舟を出したこともあります。
「これを、いまある形のままで直していくなら、2年かかります。でも、イチからつくっていいなら、1年以内にやります。どちらにしますか?」
当時、頓挫しかかった糸井重里率いる「MOTHER2」の開発データを全て見て、彼はそう言ったそうです。そしてデータを持ち帰った岩田社長は1か月でマップがスクロールするようにし、半年でゲームが動くようにプログラミングしました。
プログラマーとしても天才的だった岩田社長。実際にゲームを開発する技術者たちの気持ちが分かるところも、愛された理由のひとつだったのでしょう。
経営不振に見る岩田聡の人格

画像出典:Flickr ze_bear
Wii U発売後、任天堂の売上は急速に赤字に向かいました。しかし、その策として岩田社長は社員のリストラをするということはありませんでした。株主から何故リストラをしないのかと迫られた時も、「社員が怯えながら作ったソフトは人の心を動かせない」と答えたそうです。
そこで取った手段は、自らの給料を半分に減らすこと。「任天堂を良くすることしか考えていない」と、辞任をすることもありませんでした。
岩田社長も憧れた人物・宮本茂

画像出典:Flickr William Warby
プログラマー時代から、スーパーマリオシリーズやゼルダの伝説、ドンキーコングシリーズの生みの親である、宮本茂氏に対して尊敬の念を抱いていた岩田社長。宮本氏の考え方や言葉を常に観察しており、「宮本ウォッチャー」だということを自認していたそうです。
宮本氏は一度任天堂の役員として経営側に回ったこともありましたが、岩田社長の「宮本は、可能な限り開発の現場にいるべきだ」という方針で情報開発本部長として、社内開発業務にできるだけ専念できる体制に改められました。
優秀なプログラマーでもあった岩田社長が、大きな信頼を置いていたということがわかります。
「ユーザー目線」を作る心の育み方

画像出典:Flickr The Conmunity – Pop Culture Geek
岩田社長は、「ニンテンドーダイレクト」や「社長が訊く」など、メディアにも積極的に顔を出していました。
決して上から目線にならず、社員とも対等の立場で飾らない質問をしたり、時にユーモアや道化で見ている人を楽しませる。自分が笑われても、人を楽しませたいというその思いは、「ゲームでとことん人を楽しませたい」というその情熱と一体のものであったのではないでしょうか。
売上の悪いゲームがあると「自分はまだユーザー目線になりきれていなかった」と思い、どうすればもっと良くなるか、いつも考えていたそうです。
決して偉ぶらず、伝えたいことがあったら社長自ら赴いて伝える。自分の信念を理解してもらうためなら、恥もいとわないその心が、「ユーザー目線」で人を考えるサービス精神旺盛な人物を作り上げるのでしょう。
開発者であり、ゲーマーであり、社長

画像出典:Flickr Gage Skidmore
7月11日の岩田聡社長の死を受け、日本だけでなく海外メディアも多くのファンやジャーナリストからの哀悼の言葉に溢れていました。彼の功績は日本という舞台を越え、グローバルリーダーとして世界各地に名を轟かせていたのです。
なぜ、彼はこんなにも世界から愛されていたのか。人柄の良さも相成って、日本のファンからは「いわっち」と呼ばれ親しまれていました。彼がそう呼ばれ愛された理由は、決して難しいことばかりではありません。
ゲーム開発者としての資質はもちろんのこと、その人柄、ゲームや関わる人に対する深い愛情や献身。そして、ずば抜けたコミュニケーション能力にあったのではないでしょうか。
「名刺の上では、私は代表取締役社長です。 頭の中では、ゲーム開発者です。 でも、心の中では、ゲーマーです。」 GDC2005において、彼はこう述べました。彼の発する言葉は常に「ユーザー目線」で語られており、その情熱はユーザーたちの厚い共感を誘うものでした。
彼のゲームに対する愛情や情熱が、彼の身振りや言葉によってファンたちにしっかりと届いていた。ただそれだけのことなのです。
誰でも楽しめるゲーム作りの心
任天堂が掲げる「ゲーム人口の拡大」というテーマ。これは、MOTHER2のコピーである「おとなも こどもも おねーさんも。」という言葉にすでに表れています。任天堂の作品は、誰でも取っ付きやすく、進めていけば奥が深い、20年以上経っても愛されるものばかりです。
全ての人に分かってもらえるような「ユーザー目線」のものを作るには、岩田社長のような飾らない姿勢や、自ら楽しむ心、そしてその情熱は自分で伝えようというフットワークの軽さから得られるものなのではないでしょうか。
岩田聡という偉大なリーダーを失った任天堂。全ての世代が楽しめるゲームを発信する権威として、新たなスタートに期待をしたいところです。
[文・編集] サムライト編集部