ついに上場!「株式会社 ほぼ日」
2016年12月1日に「東京糸井重里事務所」は「株式会社 ほぼ日」に社名変更し、2017年3月16日にはついに上場することになりました。糸井重里さんが様々な葛藤を経て1998年に運営を開始した「ほぼ日刊イトイ新聞」から始まり、現在は「ほぼ日手帳」を始めとするヒット商品によって収益を得ている会社です。
ここでは糸井さんを特集した『SWITCH Vol.35 No.3 ほぼ糸井重里』と、糸井さん自身が2001年に執筆した『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社文庫)をもとに糸井さんの仕事術を紹介します。
糸井重里流「信用との接し方」

それで僕が言いたいのは、信用は農業的であるということです。
引用:『SWITCH Vol.35 No.3 ほぼ糸井重里』p19
糸井さんがこう語ったのは、社名変更をした2週間後の12月14日の定例ミーティング。毎週水曜11時に行われるこの全スタッフ参加のミーティングで、糸井さんは信用の重要性を様々な視点から語っています。
企業生活を送っていると、ついつい私たちは利益を追求してしまいます。それもそのはず、企業とは利益を追求するための組織だからです。しかし糸井さんはミーティングの中で「利益は目的ではなく手段である」(前掲書p17)と言います。利益は何をおいても優先するべきものではなく、あくまで別の目的を達成するために存在する手段にすぎないのだ、というわけです。何が目的になるべきなのかというと、それは自分がやりたいことです。利益はそのための手段でしかありません。
この利益よりも重要で価値があるものが信用です。糸井さんは信用の力を「ホワイトマジックとしての信用」(前掲書p17)と表現します。これは信用がある人の言動は、その内容の如何に関わらず信用されてしまうという、信用の力を指しています。
私たちは信用している人の言うことは鵜呑みにして、商品を買ってみたり、実行に移してみたりするものです。逆に言えば信用のない人が自分の考えに賛同してもらうためには、並大抵の努力では難しいでしょう。オオカミ少年にはホワイトマジックとしての信用を使うことはできないのです。
ではどうすれば私たちは信用を得られるのでしょうか。糸井さんは信用とは農作物のようなものだと言います。コツコツと毎日のように世話をしなくてはならず、自然の気まぐれで全てがダメになったり、荒れた土地を耕さなくてはならなかったりする。
しかも信用という農作物は、アメリカの大規模農場のように大量に収穫できません。少しずつ、少しずつしか手に入らない。だからこそ大切にしなくてはならないのです。
ほぼ日刊イトイ新聞は始めたときから超一流の執筆者に恵まれてきました。日本を代表する評論家吉本隆明さん、同じく日本を代表するミュージシャン大瀧詠一さん、他にも矢沢永吉さんや谷川俊太郎さんなど、そうそうたるメンバーです。このような方々が筆をとったのはほぼ日刊イトイ新聞というメディアの特殊性だけでなく、糸井さんへの信用があったからではないでしょうか。
もちろんこうした面々を集められたのは、糸井さんの持つ信用が桁違いだからです。しかし私たちも私たちなりにコツコツと信用を育てていれば、一人ではできない困難にも挑戦できるようになるはず。そのときまで勤勉な農夫のように、信用の畑を耕しておきたいものです。
「やりたい」「好き」を突き詰める
ほぼ日の商品には、作り手と使い手の「やりたい」「好き」が詰まっています。例えばほぼ日手帳の「1日1ページ」が実現したのは、制作メンバーの一人である松本さんが、知り合いのつてを辿って「トモエリバー」という紙を見つけてきたからです。
またリリース直後からたくさん寄せられた利用者の改善要望と一つずつ向き合い、商品としての完成度を高めていったからこそ、今のほぼ日手帳の人気があります。
出版レーベル「ほぼ日ブックス」から誕生した絵本『かないくん』は、スタッフの永田さんと菅野さんの「絵本を出したい」という気持ちから生まれた作品です。結果糸井さんの人脈を通じて谷川俊太郎さん、松本大洋さんというビッグネームが出揃い、発売3ヶ月弱で4刷7万部の売り上げへと繋がります。
『かないくん』以外の本でもこの「やりたい」を大切にする本づくりは共通していて、「絶対に作りたい本しか作らない」(前掲書p61)という熱い想いが込められているのだそうです。絶対に売れる本ではないところに、ほぼ日らしさが表れています。
「伊藤まさこさんの白いお店」は、暮らしまわりのスタイリスト伊藤まさこさんが好きな白いものを集めた、ほぼ日の中のお店です。既存商品の白いものを集めるのではなく、こういうものが使いたい、こういうものが好きという気持ちを出発点に、新しく作った商品が並んでいます。これもまた「やりたい」「好き」が詰まったプロジェクトです。
仕事というものは辛いもので、自分の「やりたい」「好き」なんて二の次だ。そんなふうに考えてしまっている人は多いかもしれません。しかし自分の気持ちを出発点にした商品開発も、ほぼ日のスタッフや糸井さんのように突き詰めればしっかりビジネスになるのです。
そこから生まれる利益は、あくまで自分の気持ちをビジネスとして成立させ、継続していくための手段でしかありません。そのことを覚悟を持って受け入れたとき、新しい仕事観が手に入るはずです。
「できること」から始める

『ほぼ日』には、申し訳ないけど高額な原稿料はもちろん、わずかな謝礼を出す資金もなかった。
引用:『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社文庫)p103
『ほぼ日刊イトイ新聞の本』にはほぼ日刊イトイ新聞がどのように作り上げられていったかが、糸井さんの視点で語られています。そこから強く受ける印象は、糸井さんは着実に「できること」から積み重ねていく人なんだということです。
前述のようにほぼ日刊イトイ新聞は、初期から各方面で一流とされている人たちを執筆陣に迎えてきました。しかしそこには大上段に構えているとか、背伸びしているといった雰囲気はありません。
例えば糸井さんは吉本隆明さんと長年の親交がありましたが、だからといって吉本さんの思想や評論に深く傾倒しているわけではありませんでした。ただ糸井さんが吉本さんの家に行き、食事をしながら世間話をしていただけでした。
しかし世間話とはいっても、相手は吉本さん。自身の難解な思想や概念を、平易な言葉で面白く語ってくれたのだそうです。糸井さんがこの内容をほぼ日刊イトイ新聞で書いてくれないかと気軽に提案し、吉本さんがこれを気軽に承諾して、連載が始まります。
こうした身近なところからほぼ日刊イトイ新聞がスタートした理由の一つは、圧倒的な資金不足です。だからこそ初期のコンセプトは「タダでやっていける仕組みが作れないか」(前掲書p63)でした。メディアにある程度読者がつくまで根気よく続けるには、どうにかしてコストをゼロに近づける必要があったからです。
しかし何の対価もなければ、どんなに糸井さんに信用があっても執筆者は確保できません。そこで糸井さんが大切にしたのは、メディアを夢や目的を実現できる場にすることです。当時のクリエイターたちは自分がやりたいことをできず、企業や消費者などの他人から制約を受けている状況にありました。
その中で糸井さんは、やりたいことができる場を提供することで、執筆の対価としたのです。お金はない、じゃあできることは何だ。そう自問して出た答えを突き詰めたからこそ、今のほぼ日刊イトイ新聞があるといえるでしょう。
確かに糸井さんの「できること」と、私たちの「できること」にはスケールの違いがあります。しかし私たちは自分の「できること」を過小評価しがちです。クラウドソーシングやクラウドファンディングなどの登場は、個人ができることの選択肢を爆発的に増やしています。
例えば昔は大手レコード会社に認められなければ音楽をお金に変えるのは至難の技でしたが、近年の新しいサービスを使えばCDや楽曲をお金に変えられる時代になっています。
たとえ周りに自分の才能やアイディアを認めてくれる人がいなくても、インターネットを通じて発信すれば認めてくれる人に出会えるのです。視野を広げ、自分の「できること」を正しく把握すれば、新しい世界が拓ける可能性は十分にあります。
「ほぼ日」は次のステージへ
まもなく「株式会社 ほぼ日」は上場し、次のステージに進みます。糸井さんも社長という立場を退いて、一人のクリエイターとして活動していきたいと考えているそうです。
しかし株式会社 ほぼ日という組織にせよ、糸井さん個人にせよ、コアの部分はこれからも変わらないのではないでしょうか。コアの部分とはすなわち信用や、「やりたい」「好き」という気持ち、そして「できること」から始める姿勢などです。
一方私たちは、いつのまにか失くしてしまっていた大切なものを、今一度取り戻すタイミングを迎えているのかもしれません。ぜひこの記事を、自分の大切なものを見直すきっかけにしてみてください。
参考文献『SWITCH Vol.35 No.3 ほぼ糸井重里』 『ほぼ日イトイ新聞の本』


