鉄道はエンターテイメントだ!江ノ電はなぜ人の心を魅了するのか?

最近いつ江ノ電に乗りましたか?

1900年(明治33年)に誕生して以来100年以上もの間、藤沢駅から鎌倉駅までのたった10km、1時間弱の距離を運行し続けてきた私鉄「江ノ島電鉄」。江ノ電の愛称で親しまれるこの鉄道が地元の人々のみならず、観光客をも引きつける秘密とは何なのでしょうか?

2015年の6月に出版された、江ノ電前社長であり、現相談役の深谷研二氏の著書『江ノ電10kmの奇跡ーーー人々はなぜ引きつけられるのか?』にはそのヒントとなるエッセンスが凝縮されています。この本を参考にしつつ、江ノ電のマーケティング、ブランディングの手法を紐解いていきましょう。

「君たちは頭から腐っている」

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藤沢駅線路上に落ちている大きなゴミが1週間も放置されていることを受けて、厳しくも新社長から現役員たちにはじめに告げられた言葉が「君たちは頭から腐っている」でした。2008年の社長就任と同時にそう言い放った深谷氏は「鉄道は安全が第一」というプロの鉄道屋としての気概を持ちながらも、「鉄道は、単なる輸送手段だとは思えない」とも言います。江ノ電が今後も湘南地域の一部であるためには、商売道具である線路の、しかも会社の看板とも言える出発駅・藤沢の線路の上に大きなゴミが落ちているようではいけないと考えたのです。

安心や安全は鉄道会社としては大前提。もちろんそれを守るために何重にもチェックをするためのマニュアルが用意されています。しかしこれからローカル線が生き残るためにはそこに「快適性」という付加価値をつけなくてはならない。そう考えていたからこそ、深谷氏は現状の知名度と黒字の経営にあぐらをかき、大局を見失っていた当時の経営陣を厳しい言葉で叱責したのです。

江ノ電のファンが社内にたくさんいる

「俺は江ノ電の運転士になるんだ」。小さな頃からそうやって江ノ電に憧れてきた社員が、同社にはたくさんいるそうです。また江ノ電ファンでなくとも鉄道ファンという人も少なくなく、最近では江ノ電初の女性運転士を目指して日々勉強に励む社員もいます。あるいは休日にまで鉄道に乗り、鉄道への情熱を注ぎ続ける社員もいれば、三陸鉄道の復興イベントに江ノ電の社員ということを明かして参加する社員もいます。こうした「江ノ電への情熱」「鉄道への情熱」を絶やさない人間が社内にいれば、自然と業務の手抜きや妥協はなくなっていきます。

これはなにも鉄道会社や江ノ電に限ったことではありません。他業種の会社でも自社に情熱を注ぐ社員がいれば、どんどん会社は良くなっていきます。昨今マーケティングの分野において「ロイヤリティ」という言葉が重要視されていますが、それは内部の人間に対しても必要な視点と言えるでしょう。

江ノ電のファンは社外にもいる

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画像出典:flicker

もちろん江ノ電には社外にもファンはたくさんいます。江ノ電ファンクラブは2014年で結成30周年を迎える歴史ある団体です。毎月会報を発行したり、毎年開催される「タンコロ祭り」という鉄道イベントの支援をしたりと熱心に江ノ電の活動をサポートしています。同団体の加入者の多くは地元の人間が多く、彼らからしてみれば「江ノ電は自分たちの鉄道だ」という思いを強く抱いているのでしょう。

また石川カツコさんという人は、1999年の冬から月に2着、冬には1着ずつ江の島駅改札前の金属製の小鳥たちにニットのセーターを編んで着せているのだそうです。彼女も江ノ電のファンの1人で、2013年には江ノ電の要請で関東運輸局長賞を授与されています。

こういった熱心なファンたちは、江ノ電が意図せずともどんどん企業イメージを向上させてくれます。そこにあるのは金銭的なメリットではなく、心の充足でしょう。とはいえ江ノ電もファンたちの活動をありがたく享受しているだけではありません。湘南地域の看板となるべく努力をしているのです。

江ノ電自身が観光資源になる

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画像出典:Wikipedia

「観光資源に頼るだけでなく、江ノ電自身も観光資源になって積極的にお客様に来ていただく努力をしている」

出典元:『江ノ電10kmの奇跡ーーー人々はなぜ引きつけられるのか?』

その努力とは意図的な「電車」そのもののエンターテイメント化です。例えば江ノ電には昭和の頃の車両が現役で走っていたり、駅舎をコンクリート造のものに新築するのではなく、昔の風情を残したまま維持しています。

他にも鎌倉駅や藤沢駅などのホームに見られるように天井から吊り下げた液晶画面を使って、沿線の寺社などの花の開花情報などを伝えたり、壁新聞のような形で張り出すという試みも「電車そのもののエンターテイメント化」の一環と言えます。

こうすることで江ノ電と周辺の観光スポットが相互補完的に互いの価値を高め合うことができる。「江の島電鉄」という1つの組織の中でビジネスを完結させることなく、外へと開いていくことでより大きな利益へとつなげていく。一見すると今では当たり前のような考え方ですが、「鉄道会社」という固定的な組織を開くというのは一朝一夕で成せる業ではなかったでしょう。

50年前の車両を今に走らせる努力

先ほど江ノ電には昭和の頃の車両が現役で走っているという話をしましたが、現在同路線には半世紀前の車両である「305号車」「355号車」が1編成だけ毎日走っています。この車両に乗るのを夢見て遠方からの観光客が来るほどの人気ですが、江ノ電はこの車両を走らせるために企業努力をしているのです。

例えば305号車・355号車の床面は板張りです。この床板を車体に固定するためには特殊な釘が必要ですが、残念ながらこの釘を作っているメーカーは現在存在しません。どうするのかと言えば、江ノ電はこれを自社で製造するのです。

他にもこれらの車両の修理をする際には部品を自社生産したり、そうでなくとも特注しています。新型の車両の倍以上の手間がかかる古い車両のメンテナンス。それでも半世紀も前の車両を走らせるのは、「鉄道は単なる輸送手段ではない」からなのでしょう。

欠点の中にこそチャンスがある

江ノ電はとても遅い鉄道です。10kmほどの区間を1時間かけて走るのですから、下手をすれば足を使って走るのと変わりません。これは江ノ電沿線が明治大正の頃からの別荘地として開発されていたという事情や、元来土地の平坦部が狭いという事情があるからです。

そのため民家のすれすれの場所を電車が走り、頻繁に急カーブをゆっくりと走行します。もし「鉄道は輸送手段である」と言ってしまえば、江ノ電のこの遅さは致命的な欠点です。しかしこれを「鉄道はエンターテイメントである」ということができれば、この遅さは周囲の町並みをじっくりと楽しむことができるこの上ない強みとなるのです。

まとめ

社内の人間は、決して、「江ノ電はブランドだ」などと言ってはいけない

出典元:『江ノ電10kmの奇跡ーーー人々はなぜ引きつけられるのか?』

著書も終盤になって深谷氏はわざわざ1節を設けて「自分たちで江ノ電はブランドだなんて思っちゃいけない」と戒めます。そんな風に思ってしまえば、簡単に社長就任時の「頭から腐っている」江ノ電になってしまうことがわかっているからでしょう。

常に謙虚に淡々と、湘南地域の一員としてよりよいサービスとより高い安全性のために精進する。それこそが全国で次々とローカル線が廃される中で、江ノ電が未だに黒字経営を続けられる理由なのです。

[文・編集] サムライト編集部