Contents
ただストーリーを追うだけですか?
映画を観るとき、なんとなくストーリーを追うだけで終わっていませんか?映画を観る、と一口に言っても実はその鑑賞方法は様々。見終わった感想が「面白かった」「感動した」だけではもったいない。もっと色々な角度から映画を観れば、映画の話でたくさん盛り上がれます。ここでは映画鑑賞がぐっと面白くなるポイントいくつかを紹介します。
「頭を使って観る」メタ的鑑賞のススメ

ここで紹介するすべてのポイントに共通するのは「頭を使って観る」という点。もちろんストーリーを追うために頭を使う必要もありますが、もうワンランク上の映画鑑賞にするためにはもっと頭を使う必要があります。その大前提となるのが「メタ」という言葉です。まずはこの言葉について理解しておきましょう。
ここで使うメタという言葉は「高次の」という意味のメタです。例えば映画を観ているときにその世界にのめり込んで、主人公と一緒になって怒ったり、ヒロインの言動に感動して咽び泣いたりする鑑賞方法はメタ的な鑑賞方法ではありません。もちろんこれも映画鑑賞を楽しむ方法ではあるのですが、ここでは「頭を使う」がテーマなので、映画の世界にのめり込みすぎず、映画を観るという方法にフォーカスを当てます。
製作方法をあらかじめ勉強してから観る

映画の製作現場について私たちがどれだけのことを知っているでしょうか。頭を使わず、ただ与えられた作品を享受しているだけならばそんなことは関係ありません。しかし作品世界にのめり込むことをやめ、ひとたびメタ的な鑑賞をしようとすると、それを知ると知らないでは全く作品の奥行きが変わってきます。
例えばアニメ映画製作の場合、数十秒のシーンでも何十枚、何百枚というレベルの絵を連続させて動かしているわけなので、そこには膨大なアニメーターの時間が詰め込まれています。
腕を上げて下ろすその動作だけでも、手だけが動いているのか、あるいはキャラクターの髪の毛や服、背景の時計の針に至る細部までが一緒になって動いているのかでも、作画担当の人たちがそのシーンにどれだけこだわっているのかがわかります。
例えば一見何の変哲もないシーンなのに、他のシーンより目立ってキャラクターが動いたことに気づいたとしましょう。そこでそのまま観続けると実はそのシーンがその後の物語の進行に大きな役割を果たす場面だった、なんてこともよくあります。
実写映画でもカメラワークやセットの作り、メイクに衣装などエンディングのクレジットにのるすべての人がそこに関わっているのだと思って観れば、映画一本の楽しみ方が一気に広がります。
製作側の意図を解釈しながら観る

映画を作る人たちには、多くの場合、何か伝えたいことがあります。それは息もつかせぬストーリー展開の面白さであったり、友情や愛情の大切さであったり、家族の絆であったりと様々です。
その様々な伝えたいことを、2時間程度の上映時間の間に詰め込むのは簡単ではありません。しかも伝えたいことをそのまま言葉にせず、映画的に表現するのは至難の技です。すべてセリフにしてしまえば簡単なように思えますが、それなら別段映画にしなくとも、朗読会でもいいということになってしまいます。映画として伝える、というところに製作側はこだわりをもっているのです。
例えばサスペンス映画で登場人物が殺されてしまった時、近くに居合わせた謎の女性の顔が画面いっぱいに広がったとします。これは一見犯人がその人かのように思わせる演出でありながら、その実観客をそちらに誘導し、別の重要な事実から目を背けさせるテクニックでもあるのです。
そうやって製作側との駆け引きをしながら謎の解明をしていくサスペンス映画鑑賞は、ただ探偵が謎を解いていくのを傍観するだけの鑑賞とは、全く違ったものになるでしょう。
他の作品とクロスさせながら観る

19世紀末にアメリカのエジソンが映写機(キネトスコープ)を発明して以来、人類は途方もない数の映画を作ってきました。するとどうしてもXという作品とYという作品があれば何かしら共通点が出てきます。場合によってオマージュといって、意図的に過去の作品の模倣をすることで、新しい映画の見せ方を提示したり、元の作品への敬意を示す方法もあります。
例えばロバートデニーロやケビンコスナーなどそうそうたる顔ぶれが並んだ1987年の映画『アンタッチャブル』では1925年のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』へのオマージュが非常に有名です。赤ん坊の乗った乳母車が長い階段を下り落ちていくのと同時に、周囲の状況が絶望的に変化していく『ポチョムキン』の名シーンを見事に取り入れてみせた名オマージュです。このようにして他作品とクロスさせて観ると、映画の世界はぐっと広がります。
原作をあらかじめ読んでから観る

原作小説などがある作品は、ぜひそちらを読んでから観ることをお勧めします。例えば原作が小説の場合、活字だけで表現出来る内容は限られています。しかしその反面、活字だからこそ表現出来る世界もあります。
「荒涼たる景色がそこには広がっていた」という一文を読んだ場合に思い描く情景は、読む人それぞれに違いますが(砂漠なのか、サボテンはあるのか、民家は建っているのか、など)、映画になるとその情景はそのまま映像として映ります。いわばそれこそが製作側が見た「荒涼たる景色」なのです。
原作と映画の差異というのは、非常に細かい点から物語の重要な局面にまで至ります。するとどうしても作品全体の解釈にも関わってくるため、例えば「どうして原作ではヒロインが死んだのに、映画では生き延びたのか」といった疑問が湧いてくるのです。
こんな疑問が湧けばしめたもの。それをネタに仲間とたくさん議論ができますし、どうしてそうなったのかを確かめるために同じ映画を何度も観たくなります。こうして映画鑑賞の世界が深まっていくのです。
自分の尺度を持とう
作家のオタキングこと岡田斗司夫さんの映画の見方は「ルック」「シナリオ」「役者」「深度」の4つの軸で映画を評価するというものです。
「シナリオ」はストーリーの整合性や「見せる順番」の上手さ、観客をどういう世界に引き込むかの手際。
「役者」はキャスティングや演技。
「深度」これは設定を含むリアリティや話の厚み。
このようにあなたも自分の尺度を持って映画を見ていくと、「面白かった」以外のコメントができるようになると思います。ぜひお試しください。
[文・編集] サムライト編集部