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ここに注目
絵画鑑賞は、専門的な知識がなくても、大いに楽しめるものです。
しかし、時には「この絵は面白いと思うけど、一体何が面白いのだろう」という疑問が浮かんだり、「この絵をどう観たらよいのか、わからない!」というときもあったりします。
そういうときには、絵を観るいくつかのコツを知っていれば、鑑賞も少し楽しめるようになるかもしれません。
これまで「有意義な美術鑑賞」や「名画の理由」について述べてきましたが、今回は、絵をどうみていいかわからないときに役立つ、絵画の見方について紹介します。
絵画の知識や技術について、必ずしも知っておく必要はありませんが、代表的なものを知っておくだけでも、ただ漠然と見るだけとは大きな違いになることは間違いなしです。
構図に注目! 鑑賞者の視線を動かす
中心に描く──日の丸構図
構図について、代表的なものをいくつか紹介します。
例えば下記の図は、絵の主題がキャンバスの中心に置かれているもので、「日の丸構図」と呼ばれています。
安定感があり、絵の中心に、どんと主題が置かれています。いわゆる成功法のひとつで、人物画や風景画、静物画、どれを描く際にも基本となる構図です。
美術の世界ではこの構図を敢えて使わず、中心をずらす方法も多く取り入れられています。下記の作品はその例のひとつです。富士山をあえて中心に持ってこない、という日の丸構図とは違う手法を敢えて使っています。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》 Wikipediaより転載
視線を上下左右に動かす──左右分割構図
下の絵は19世紀フランスの自然主義の絵画です。

カミーユ・コロー《モルトフォンテーヌの思い出》 1864年 ルーヴル美術館蔵 Wikipediaより転載
絵の中心に大木があり、画面が2分割されています。それによって絵にメリハリが生まれ、陰影もうまく表現されています。このように左右にわける構図も絵画では多く使われている手法です。
左右に分けるだけでなく、上下に分けたり、左右対称(=シンメトリー)になっていたりする絵画もあります。建築などにもよくみられるこのシンメトリーもまた、安定感を生み出す構図です。
安定と余白──三角構図
三角構図にすることでも、安定感が生まれます。下記の絵は、三角(△)の構図になっていて、上部に抜け感があるため、狭苦しい感覚もなく、どっしりした構図となっています。

ラファエロ・サンティ《ベルヴェデーレの聖母(牧場の聖母)》1506年頃 美術史美術館蔵 Wikipediaより転載
この構図の効果は、鑑賞者の視線が自然と下から上へ動いていくことで、動きのある印象を与えることができます。絵に動きやバランスが生まれ、すっきりとした印象になります。
上下逆さ、左右でも三角構図を作ることは可能です。レオナルド・ダビンチ《モナ・リザ》もまた三角構図で描かれている作品のひとつです。
適度なバランスをとる──三分割構図
絵画を制作する際によく使用されるのが、「三分割構図」です。

縦3本、横3本、等間隔に水平線と垂直線を入れ、画面を9分割します。それらの線上あるいは、線が交差したところに、構図の重要な要素を配置するという方法です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》1498年 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院蔵 Wikipediaより転載
《最後の晩餐》も、テーブルと人物たちの頭部、キリストを中心にして三分割ができる構図になっています。バランスがとれいているだけでなく、奥行き感のある作品になっていることも感じ取れます。
これは「日の丸構図」や「上下(左右)分割」とは大きく異なる構図で、18世紀にはすでに風景画では取り入れられていたと考えられています。現代では、写真やデザインなどの視覚芸術にも使われています。
構図を無視するのもあり?
もちろん、上記以外の構図の絵画もたくさんあり、さらには、構図という概念を無視している絵画も数多く存在しています。
例えば、西洋で生み出された技法に「遠近法」があります。「遠近法」を簡単に言うと、近いものは大きく、遠いものは小さく、ある角度の視点から見れば物体がゆがんで見えるというものですが、当時、日本では遠近法という概念がありませんでした。

葛飾北斎《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》Wikipediaより転載
葛飾北斎のような日本画を目にした当時の西洋画家たちは遠近法を全く無視した作品に衝撃を受け、西洋画にはない迫力を感じ、こぞって真似をするようになります。
そう考えると、構図ひとつとってみるだけでも、絵画の技法の歴史もわかるようになってきます。余白が極端にあったり、まったくなかったり、人物の視線が不自然だったり……そういうところに注目して絵画を見てみるのもまた一興です。
配色に注目! 同じ色でも使い方はさまざま
“色彩の調和が高まれば、デッサンより確かになり、色彩が完璧であればフォルムも安定する“
この言葉は、印象派の巨匠・モネが遺した言葉です。見えるそのままの色を描くのはもちろんですが、そこにもまた絵画ならではの技法や方法が秘められています。
“反対色”でメリハリを出す
反対色とは、色相環にある色の反対の色のことを指します。
例えば、赤の反対色は緑、青の反対色は黄色……料理の世界では反対色を入れることで、美味しく見えると言われています。絵画では反対色を用いることで、お互いを強調させる効果があると考えられています。

フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス》 1888年 クレラー・ミュラー美術館蔵 Wikipediaより転載
この絵は、青と黄色という反対色を使って描かれています。反対色を使うことでそれぞれの色がより際立ち、目に色そのものの力強さが直接伝わるような作品になっています。
ゴッホは他の作品でも度々この反対色(特に黄色と青)を使用しています。それによって、パッと目をひく絵の力を持っていると言われています。

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》1658-60年頃 アムステルダム国立美術館 Wikipediaより転載
また、16世紀オランダの画家・フェルメールも、反対色を多用した画家のひとりです。この絵の場合、反対色によって人物の存在感がより引き立てる効果となっています。
“補色”で統一感と明るさを出す
補色とは、反対色の逆で、色相環では隣りあう色のこと。つまり、お互いの色を混ぜるとグレーになる色のことを言います。簡潔に言うと、類似色のことを指します。

クロード・モネ《散歩、日傘をさす女》1875年 ナショナル・ギャラリー蔵 Wikipediaより転載
ここには青、緑、白、黄緑、紫、青緑と様々な色があることがわかります。
印象派の画家たちは、山の風景を描こうとしたときに、そこに緑だけでなく、黄色・青・薄紫などの色があることを認識しますが、それらの色を混ぜると絵の具はグレーになってしまいます。
そこで、彼らは色を混ぜずに、それぞれを独立させ、細かいタッチによってキャンバスにそれぞれの色を描き込むことで、色の明るさと色そのものの効果を得るようになりました。
色相環以外にも、例えばキリスト教の絵画で赤はイエス・キリストを示していたり、青は聖母マリアを示していたり、色の明暗がはっきりしているバロック絵画では「明暗技法」(キアロスクーロ)という技法が使われていたります。
構図から入るのが必須というわけではなく、もし色に興味を持ったのであれば、まずは色の視点で絵画を観てみるのもとても有意義な絵画鑑賞のひとつです。
歴史と紐付ける ──絵画にアナザーストーリーを見つける
「名画の理由」【可能であれば、再度リンクをとばしてください】にもあるように、その絵画が描かれた時代や作家について知ることも、絵画をより深く理解するひとつの手法です。
美術展では絵画の横にある解説文(キャプション)に歴史背景などを紹介していることが多く、それを読むだけでも十分な知識を得ることができます。
歴史に紐付けるうえで面白いのは、その絵画が、まるでひとつの物語のように見えてくること。
当時、人々がどんな仕事をしていたのか、作家が何を思ってそのモデルの絵を描いたのか──それを知った上で絵を見るだけでも、まるで違った印象になります。

クロード・モネ《睡蓮 朝》1916-26年 オランジュリー美術館蔵 Wikipediaより転載
この絵は、かの有名なモネの睡蓮ですが、この絵を描いていた当時、彼はすでにほとんど視力を失ってしまい、物を見ることができなかったと言われています。
しかし、モネは視力を失うに伴って、抽象画に近い睡蓮の絵を描くようになり、それはますます光あふれる作風となりました。まるで、光を失いつつある自身の眼とは対照的に。
そう考えると、この絵を描きながら、モネは一体何を考えていたのか──想いを巡らせてしまいます。
展覧会場には解説文だけでなく、会場入り口に紹介ビデオがあったり、図録が販売されていたり、年表が張り出されていることが多々あります。
それらを見たり読んだりすることで、より簡単に歴史を自分のなかに取り込むこともできます。
以上、3つの視点からの楽しみ方を紹介しましたが、この方法が全てというわけではありません。
大切なのは、心が動く何かを見つけること。そして、自分自身、何が好きなのかを見つけることです。
例えば、「黄色が好きなんだ」「余白が好きなんだ」と気づくだけでも、それが自分の生活に取り込むことができます。
あるいはそうやって意識をして絵を見るだけで、想像力・観察力を養うことはもちろん、誰かと絵をもとに対話をすることでコミュニケーションを上達させることもできます。
海外の美術教育では、そのような対話力育成に力を入れている国も数多くあります。
絵を観るという行為は、音楽鑑賞や映画鑑賞という自然に心に入ってくる鑑賞とは少し違って、受け身ではなく自分から進んで「観る、考える」という過程です。
でもだからこそ、意識して絵を観て、考え、感じるという過程が大切なのではないでしょうか。
[文]野村慶子 [編集] サムライト編集部