ワイン・ビストロ『Soyokaze』
星の数ほどある飲食店。飲食形態。ワインに特化したお店も数多く存在する。
フランス、イタリア、スペイン、オーストラリア、アメリカ、チリ、日本、etc…
そんな中から僕が選んだのは、世界有数の銘醸地でありながら、日本ではまだ認知もされていないワイン。アメリカ・オレゴン州。オレゴンワイン。
これが、僕が選んだワイン。
僕にとってかけがえのない地、アメリカ・オレゴン州。そのオレゴンが世界に誇るワインの素晴らしさを日本の方々に知ってもらいたいと思い、オレゴンワインだけを取り扱うワイン・ビストロ『Soyokaze』を渋谷・神泉につくった。
お店は今年で6年目に入り今も試行錯誤の毎日。偉そうに語れるようなことは何もないけれど、もし僕の経験が、あの頃の自分のように、将来がまったく見えなくて、苦しんでいる20代の人たちの役に少しでも立つのであれば、喜んで僕の失敗の歴史を語ろうと思う。
希望に満ちたスタート

2001年。ニューヨークで起きたアメリカ同時多発テロ。
この夏に僕はアメリカの大学を卒業し、大きな夢とともに帰国。
きっと、そこには、多くの新入社員たちが抱えるような希望と期待が人一倍、有り過ぎる程にあったのだと、思う…
「自分には何かができる!」、「自分が会社の力になる!」、「夢を叶え、社会に貢献するんだ!」、みたいな大きな夢を持って、当時、新たな目標を掲げ大きな改革を推し進めていた日本の某大手自動車メーカーに就職した。
しかし、自分が配属された部署・部門の業務内容に、ただただ愕然。販売促進部とは名ばかりの部門間の調整と雑用。非常に地味な事務処理的な雑務。
自分の中にあった輝かしいイメージと、その舞台裏のあまりのギャップにしだいにやる気を失っていった。そして、入社して半年で腐りはじめて、別に次を決める訳でもなく、たったの1年で退職。
憧れのメディアの世界へ

会社を辞めると決めた頃から、元々大学で専攻をしていたメディアの世界で、何らかの仕事がしたいと漠然と考えるようになり、人生で2度目の就職活動を開始。
そんなある日、テレビ業界で働く方からのご紹介で、紛争の地を巡っているジャーナリストのAさんと出会った。その仕事の迫力に魅了されて、アシスタントにならせていただいた。
そこから本当にあっという間に数ヶ月が過ぎ、その年のクリスマスを紛争の地・パレスチナで過ごした。そして、年が明けた2003年1月下旬、僕は再びパレスチナに向かった。
地中海を望むリゾート地としても名高いイスラエル・テルアビブ。
国際空港に降り立ち、車でパレスチナへと入る。
真冬でも、地中海は素晴らしい。太陽が照らす紺碧の海は美しく、華やかなリゾートビーチの彩(いろ)を際立たせていた。首都イスラエル・エルサレムに向かう光景。
それは、紛争とは無縁としか思えない景色が広がる。
しかし、この国には、数々の世界が抱える矛盾が存在し、60年以上に渡り、紛争が繰り返されている…
パレスチナ自治区・デヘイシャ難民キャンプと入り、3週間におよぶ取材。難民キャンプの小学校の壁に子どもたちが自分たちの歴史、文化、紛争、パレスチナ難民の象徴などを『壁画』として描くプロジェクトに張り付いた。
雲一つない、どこまでも広がる空を見ながら、ふと自分が求めていた刺激に満ちた日々がここにあると、そう思った。
その後、Aさんのアシスタントとして、某報道番組に立ち上げに参加。テレビ業界という華々しい業界で数年を過ごし、報道、ニュース、ドラマ、CM制作、プロモーション・ビデオ、ミュージック・クリップなど、様々な事を経験させていただいた。忙しいながらも毎日が刺激的で充実した日々のはずだった。
現場から逃げ去る…
しかし、そんなある日、突然自分が何の為にこの現場にいるのか全く解らなくなり、僕は現場から逃げ去った。29歳だった。働き盛りのいい大人が、信頼関係や仲間への迷惑、社会的責任など全く顧みず、本当に逃げた。
辛すぎたのだ。と自分に言い訳をして…
「現場から真実を伝える!」
「夢を人に与え、社会に貢献するんだ!」
熱い想いを持ってテレビ業界・報道を目指した自分はどこかに消えていた。
『自分が描いた大志はなんだったんだ…』と、誰の意も介さない無意味な自問自答の日々。
鬱といって済む話ではない。仕事関係の方々に多大な迷惑をおかけした。
しかし、当時の僕は完全に精神と体が狂っていた。
『死にたい』と思いながら、3週間以上も部屋に篭り、誰とも会わない日々。
でも、なぜか?「このままじゃいけない!」と、考えた。それとも誰かの声がしたのか…完全に狂っていたんでしょう(笑)
今も定かではないが、「このままじゃいけない!」、「死にたくない」そう思った時、不意に自分が夢に満ち、輝かしい思い出のある留学時代がよみがえってきて、涙が溢れた。
オレゴンに帰りたい。
本当は良い思い出への逃避行がしたかったんだと思う。それからは、本当に早かった。その日のうちに書類を集めてパスポートを申請、国際免許も申請。そして数週間後、僕はオレゴンの地を踏んだ。
思い出の地へ
オレゴン州ポートランド空港に降り立ち、手配しておいたレンタカーに乗り込み、空港から車で約2時間、大学のある街・ユージンへと車で向かった。
5月のオレゴンは、雨期といっていいだろう。しかし、その日は晴れていた。青く染まった快晴を絵にかいたような空の下、広大な大地を眺め続けた。少しづつ、西に傾きはじめた太陽を感じながら、ひたすら車を走らせた。
走り慣れた路。
募る想い。
何かに満たされていく自分。
旅の目的地。ユージン。
そこは当時のままだった。ここに帰ってこれた。本当に嬉しかった。街に着いてすぐ、行きつけのカフェに行き、当時よく飲んでいたコーヒーを注文し、いつも座っていたテラスにある木陰のカウンターで煙草を吸いながら、当時の事を思い出した。
大好きだった映画館、チャイニーズレストラン、ワイナリー。全てがここにある。
大好きだった街。大好きだった場所。大好きだったモノに触れた。
涙があふれていた。
大学のキャンパスを歩きながら、懐かしい思い出の場所に行き、当時の輝かしい自分を取り戻したいと思いながら、何かに、少しずつ満たされていく。
そんな錯覚。
でも、錯覚ではなかった。いったん噛みしめた懐かしさに、打ちのめされたのだ。
そこにあったものは、『自分の能力のなさ』。
なんで素直になれなかったんだよ…
なんで頑張れなかったんだよ…
新卒で、本当に素晴らしい企業に就職させていただいた。でも、僕は、「会社を嫌いになりたくない。だから、そうなる前に辞めた方がいい」なんて思っていた。ただの言い訳だった。自分の非、能力のなさを認めたくなかっただけなんだと、今ならわかる。
その後に就いたテレビの仕事、他の人ができないような様々な本当に貴重な経験させていただいた。でも、忙しすぎて自分を見失ったなんて、これも言い訳。
自分が選択したコト、モノには、必ず責任が存在する。そんなコトも分かってなかっただけ。
オレゴンという、素晴らしい場所。学生時代という輝かしい時代。
「Memory is beautiful 」
…思い出は美しい…
そんな錯覚に打ちのめされ帰国。
自分には、なんにもない。なんにもできない自分。
ただそんなことだけを思い、考えて過ごす日々が始まった。(vol.2へ続く)
東京都渋谷区神泉町9-12 03-5456-0557
officialSite: http://www.sykz.jp/
※8/20(木)~8/30(日)は、オレゴン研修のためお休みです
日本で唯一のオレゴン・ワイン専門店をつくってみたvol.2 堕落の日々と救いの手