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自分で決めるからこそ頑張れる
「ガンボ&オイスターバー」など、安全な生牡蠣をカジュアルに食べることのできる飲食店を多数展開する株式会社ヒューマンウェブの吉田琇則社長。
前編では新卒時代から、転職して、若手ながらにして大きな組織を取りまとめた方法について伺いました。後編では起業を決意した時のことについてお伺いします。
自分でリスクをとってやりたくて、起業した

-ヴェルファーレの代表をやられてから、今の会社を作るというのはどういった経緯ですか?
吉田:三十代に入ったころに海外へいくと「オイスターバー」がたくさんあるのを見て、なんで日本にはないんだろうなと感じていました。僕はお酒も好きだし牡蠣も好きだし、とにかくおいしいし、絶対に日本でこれをやりたいなと思ったんですよ。
大変ありがたいお話で、エイベックスの子会社の社長にならせていただきました。その次はもう、いままで自分が積み上げてきたキャリアを信じて、自分でリスクをとってやりたいなということで起業しました。
その時、ちょうど34歳だったので、やるんだったら今しかないな、これ以上遅れたら…と感じたので、起業を決断したというのはありますね。
-起業して、1店舗目は赤坂に作られたようですが、その時はお客さんはたくさん入ったんですか?
吉田:お客さんの数は入っていたんですけど、これまでやってきたディスコと比べると、飲食では原価がしっかりと掛かるんです。原価と、なおかつ「牡蠣」という食材の難しさで、売り切れやロスなどで原価率が50%を超えてしまっていて、全然儲からなかったんですよ。
-一般の飲食では、原価は3割くらいって言いますよね。
吉田:その時はもう、全然だめでしたね。しかもその当時、殻付き牡蠣を食べる文化がなかったので、牡蠣を調達するのがなかなか難しかったんです。
ごく一部のところでしか食べられていない、珍しさという意味ではお客さんは来ていたんですけど、売上高がなかなか上がらず儲からないという状況でした。客単価も1万円くらいで、どちらかというと特別な日に訪れるレストラン、という感じでした。
-その状況から、何がきっかけで打開できたんですか?
吉田:1年後に、新宿にマイシティという駅ビルができて飲食フロアを思い切り変えようという動きがあったんです。それの中に2店舗目を出店してくれないかという話をいただきました。
その時にこれまでの「特別な日に訪れるレストラン」という形ではなく、カジュアルな形でやろうと考えました。ガンボと牡蠣を食べて、ビールも飲んで3000円代で済むようなパッケージにしようということで作ったのがその2店舗目です。そうしたらものすごく大当たりして、そこから一気に出店が加速しました。
ノロウイルスで倒産の危機・今の経営に繋がる大革新

-ビジネスモデルをそこで転換したんですね。2006年頃のノロウイルスが問題になった時にはどうされましたか?
吉田:当時2006年に1年間で10店舗作ったんです。お店が増えて、さあこれから!と思った時にノロウイルスの騒動が起きました。
お客さんが二枚貝を警戒してお店に来なくなって、売り上げが前年比で7割減になりましたね。銀行に新しく出店するために借りたお金も返せなくなって、業者さんに支払いを待ってもらったり、従業員の給料日を後ろ倒しにしてもらったりして、会社は倒産寸前にまで追い込まれました。
それまでは、お店の牡蠣は国産で、お店の近くの各産地から直送で仕入れていたんです。倒産の危機を招いた原因は「牡蠣の安全性」にあって、それに対するお客さんの不安が売り上げ不振に繋がっている。
生産者がしっかり浄化して出荷したものでも、営業停止になるのは結局店側で、最終提供者の飲食店が責任を負わなければいけないという事に危機感を感じました。これまで産地まかせになっていた牡蠣の安全性に本気で取り組もうとこの時に決意しました。
それで、2007年に広島に物流センターを作ったんです。これは、牡蠣を産直でそのまま店に入れるのではなく、一旦そのセンターに牡蠣を集めて、48時間くらいかけて牡蠣を綺麗にする仕組みです。これによって各産地の牡蠣の細菌をほぼ無菌の状態にしてから、各お店に発送するという形の流通ができました。
これまでは2日に1度だった仕入れを、毎日送ることができるようになって、ジャストインタイムの良い体制を作ることにも成功しました。従業員が自信を持ってお客様に牡蠣が提供でき、おいしく食べてもらってという、しっかりとした土台を作り上げた結果、お客さんの数も徐々に回復し、リピーターも増えてきて、また成長軌道に乗ることができました。
誰も真似できないブルーオーシャンを探し出した

-牡蠣の安全性って説明するのが難しいですよね。
吉田:弊社の牡蠣の「安全性」をお客さんに正確にお伝えする努力は、まだまだ足りていません。これからしていかなければいけない課題ですね。
今後は、安全性に加えて海洋深層水による洗浄で栄養価がアップすることなど、まだ全然アピールできていないところをしっかり伝え差別化をして、うちの商品の価値を高めていきたいと考えています。
他にこういった同じような取り組みをしている企業は他にないですよね。完全にブルーオーシャンなのでは?
吉田:そうなんです。真似する人がいないんですよ。世界的にもこんなことやってるのはうちだけで、オイスターバーとしては世界最大のチェーン店なんですよ。
それくらい世界化は難しいといわれている業界なので、そういう意味では誰かの真似をするんじゃなく、自分たちの道を開拓していかなきゃいけないんです。ものすごく試行錯誤して、常に失敗ばかりですね。
-その試行錯誤の中の失敗で、「これやっちゃったな」みたいなエピソードはありますか?
吉田:一度、銀行から勧められて、リスクヘッジのためにオイスターバーとは違う業態の店を出したことがあるんです。牡蠣には季節性もあるので、居酒屋みたいなカフェを出しました。でも、それが大失敗して店を潰して損失を受けました。
やってみてわかったんですけど、よく「リスクをとるべき」みたいな、いいようなことを言うんですけど、それって結局、他社さんに敵わないんですよ。他でやってることを新しく始めると、うちはゼロから作らなきゃいけないので。
そこで目覚めたのは、牡蠣のノウハウはまだ他に誰も日本でやっていなくて、うちがナンバーワンなので、ここを極めるべきということでした。
自分の領域を見つけ出すこと、決断し続けること

-そういう極めるべきこと、やりたいことって見つけるのが難しいですよね。
そうなんです。年齢によって変わってくるし、なかなか分からないですよね。二十代で「私はこれをやりたい!」って見つけられる人はあまりいないと思うし、「人生これで生きていこう」なんて人もあまりいないと思う。
転職したり、色々なことに挑戦していくうちに、だんだん経験を重ねて精度が高くなってくるっていうのはありますよ。
-自分がやりたいことを見つけられる人と、見つけられない人の差ってどこにあるんですか?
やはり、自分次第ですね。ぼーっとしてたらそのまま波に飲まれるかもしれないし、反対にとんがってる人、野心のある人はそういう嗅覚が働くので、次へ次へ、もっと上へ、とか、ここの会社では自分のやりたいことが実現できないと思ったらもっと別のとこに行くべきだし、これは個人の、自分次第ですよね。
ぼくの場合も、先ほどお話したノロウイルスで会社が傾いた時、全員に止められたなかでも広島に牡蠣の浄化センターを作ったというのも、結局、自分で決める話、自分で納得しなきゃいけないことなので。
さっきの銀行の話も同じで、人に勧められてやったことって、もし失敗したらすごく後悔するんですよ。でも自分で決めたのだったら、気合も入るし、失敗しても納得できる。
転職に関しても、僕の実体験とかからいうと、誰かに相談しないんですよ。次この会社いくからとか、親にも事後報告。すべて自分で決めてきたので「自分で決めた=自分でがんばらなきゃいけない」と思えるんです。そもそも、あまり人に相談しない。結局相談したってみんな他人事ですからね。
-最後に、仕事をする上で大切にしていることや、心がけていることはなんですか?
結構色々なことで迷って、言うことがコロコロ変わるんですよ。コロコロ変わって周りには迷惑をかけているんですけど、それって、決断の連続なんです。ほんの少しの判断ミスでなにか起きたら嫌なので、「ダメそうだと思ったらすぐ変える」ということは大事にしています。間違っていても、決断をし続ける。
10個の案件あったら10個とも成功するとは限らないので。決断を多くすることによって、ミスは防げるというか、大きなミスにつながらないようにはできると思っているので。それはトップとしてのやり方ですよね。
-新しい領域を見つけ出し、決断を続けながらもひとつの事を極める。とても大事にしたいことですね。本日はありがとうございました!
[インタビュー] 頼母木 俊輔 [執筆・編集] サムライト編集部