Contents
なぜコミュニケーションは「おっくう」なのか?
誰かとコミュニケーションをとるとなると、そこには「言って怒られたらどうしよう」「言って相手を傷つけたらどうしよう」といった言いづらさがつきまといます。あるいは「言いづらさなんてないけど、自分の意見を伝えると相手が萎縮しているのがわかる」という人もいるのではないでしょうか。
言いづらさやこうした体験が積み重なると、私たちはどこかで「コミュニケーションっておっくうだなあ」と思うようになってしまいます。しかしこれはコミュニケーションそのものの問題ではなく、コミュニケーションの方法の問題です。
ここでは「言いづらい」「うまく伝えられない」といった問題を解決するために、1970年代にアメリカで登場したコミュニケーション技法「アサーション」を紹介します。参考にするのはアサーションの日本における第一人者、平木典子さんの『アサーション入門 自分も相手も大切にする自己表現技法』です。
自分も相手も大切にする自己表現技法
「アサーション(assertion)」という英単語には「断言」「断定」「主張」という訳語が当てはまりますが、コミュニケーションにおけるアサーションにはこうした「強い自己主張」という意味合いはありません。平木さんの著書では、以下のような定義がされています。
(1)自分の考えや気持ちを捉え、それを正直に伝えてみようとする。
(2)伝えたら、相手の反応を受け止めようとする。
引用:前掲書p41
(1)は英単語としての意味に近いものがありますが、「正直に伝えてみようとする」というところに攻撃的ではない、友好的な自己主張であることが現れています。さらに(2)が加わることで、単に自分の考えや気持ちを伝えるだけでなく、それに対する相手の反応をも尊重する姿勢が示されています。すなわちアサーションとは「自分も相手も大切にする自己表現技法」なのです。アサーションの技法に則った自己表現は「アサーティブな自己表現」と呼ばれます。
3種類のコミュニケーションタイプ
「自己表現技法」というとアグレッシブに自分をアピールする方法をイメージする人もいるかもしれません。しかし「自己表現=強い自己主張」という考え方はあまりに一面的です。平木さんによれば、私たちのコミュニケーションには3種類のタイプがあります。すなわち「非主張的自己表現」「攻撃的自己表現」そして「アサーティブな自己表現」です。
●非主張的自己表現−「言わない」「言い損なう」
非主張的自己表現とは、相手を優先するあまり自分の考えや気持ちを曖昧に表現してしまったり、相手に気づかれないような弱気な態度をとってしまったりするコミュニケーションタイプを指します。
このタイプの人は「(相手の気持ちを考慮して)言わない」「(自分の意見に自信が持てなくて)言い損なう」という事態に陥りがちです。仮に勇気を持って自分の意見を主張してみても、相手への配慮が残っているため、黙殺されてしまいます。
しかも得てしてこの配慮は気づかれもせず、感謝もされません。すると徐々に「自分はこんなにも配慮しているのに」「どうしてわかってくれないんだ」とネガティブな感情に支配されていきます。また自分の意見を主張して行動したり、周囲を動かす経験に欠けるため、他者依存的な生き方になる可能性もあります。
このような非主張的自己表現が固定されてしまうと、その人は自己主張をするきっかけを見失い、自分を抑圧してしまいます。その先に待っているのは頭痛や肩こりなどのストレスからくる身体的症状や、うつ状態や引きこもりなどの精神的な症状です。そこまで悪化せずとも、社会生活に必須のコミュニケーションがおっくうになれば、毎日を充実させるのは至難の技です。
●攻撃的自己表現−「押し付ける」「言い負かす」
では躊躇なく自己主張をする攻撃的自己表現に切り替えれば、毎日が充実するのでしょうか。確かにズケズケと言いたいことを言っていれば一時的な満足感は得られるでしょう。しかしそのような自己表現では、いずれ行き詰まります。
攻撃的自己表現には自分の意見を押し付けたり、相手の意見を否定して言い負かしたりするやり方も含まれますが、相手をおだてたり甘えたりして思い通りに動かそうとするやり方も含まれます。つまり攻撃的自己表現とは、相手の意見を無視して、自分の思い通りに動かそうとする自己表現全般を指します。
攻撃的自己表現をしてしまう人には大きく2つの心理が働いています。1つは「自分の言うとおりにしてくれるはず」「自分の思い通りにならないなんて許さない」という他者に対する一種の甘えです。もう1つは「企業の役職者」「父親」といった社会的な立場がもたらす優越感です。
これも「自分は偉いんだから言うとおりにするだろう」という甘えです。この意味で、攻撃的自己表現をする人は非主張的自己表現をする人と同じように、相手に甘えて依存しているのです。
このようなあり方が固定されてしまうと、知らぬ間に攻撃的自己表現によって自分の存在感を確認するようになります。しかし攻撃的自己表現に依存している人と、好き好んで一緒にいようと思う人は稀です。その結果近くに残るのは利害関係のある一部の人だけとなり、孤立していってしまいます。これではとても充実した毎日は送れそうもありません。
●コミュニケーションタイプを測る5つのテスト文
ここまで解説した非主張的自己表現と攻撃的自己表現はあくまで極端な例で、「この人は100%このコミュニケーションタイプ」というように明確に区別できるものではありません。以下ではその傾向を調べるためのちょっとしたテストをしてみましょう。
<テスト>
次の文章のうち、日頃の自分の考えと「まったく合っていない」場合は「0」を、「あまり合っていない」場合は「1」を、「どちらとも言えない」場合は「2」を、「かなり合っている」場合は「3」を、「非常に合っている」場合は「4」を、回答1に当てはめてください。
引用:前掲書p71
今あげた5つの文章を、みなさんは誰を主語にしながら読みましたか?「自分」「周りの人」「世間一般」の中から選び、回答2に当てはめてください。
<解説>
これら5つのテスト文のうち、1つでも「かなり合っている」もしくは「非常に合っている」がある場合、非主張的自己表現・攻撃的自己表現いずれかの傾向があり、その数が多いほど傾向も強まります。さらにその文章の主語が「自分」であれば非主張的自己表現の傾向が強く、「世間一般」であれば攻撃的自己表現の傾向が強いといえます。
どうすればアサーティブになれるのか?
アサーティブな自己表現は、消極的すぎる非主張的自己表現と積極的すぎる攻撃的自己表現のちょうど中間に位置します。そのため非主張的自己表現と攻撃的自己表現の抱える問題を解決したいのであれば、その傾向を修正し、コミュニケーションタイプをアサーティブに引き寄せればいいのです。
平木さんの著書ではそのための方法として「思い込みを捨てて自分に対しても相手に対しても多様性を認めるように」とアドバイスをしています。以下ではこの平木さんのアドバイスを基に、筆者が考えた2つの視点を解説します。
●「事実」と「感情」を分けて考える
非主張的自己表現が問題になるのは、「自分の意見なんてしょうもないに決まっているから、言えば相手を煩わせるだけだ。相手の意見に合わせよう」と判断したときです。攻撃的自己表現が問題になるのは「自分の意見が正しいに決まっている。だから相手の意見は無視しよう」と判断したときです。このような判断を下すのは、「事実」と「感情」がごちゃ混ぜになっているせいです。

上表のように2つのコミュニケーションタイプが事実だと考えているのは、実は事実を感情が捻じ曲げたものにすぎません。この場合における事実は「自分の意見と相手の意見が存在する」ということだけです。この事実が認識できれば、あとはアサーティブにコミュニケーションをとるほかありません。すなわち「自分の考えや気持ちを捉え、それを正直に伝えてみようとする」「伝えたら、相手の反応を受け止めようとする」というわけです。
●「平等的視点」を持つ
事実と感情を分けて考える際に効果を発揮するのが「平等的視点」です。非主張的自己表現をする人は「(たとえ相手が○○していても)自分は○○してはいけない」と考えがちですし、攻撃的自己表現をする人は「(たとえ自分が○○していても)相手は○○してはいけない」と考えがちです。このような不平等な視点を持っている限り、アサーティブな自己表現はできません。そこで以下のように考え方を変えましょう。
・相手がしてもいいこと=自分がしてもいいこと
・自分がしてもいいこと=相手がしてもいいこと
もちろん社会的な立場などで制約を受ける場合もあります。しかしそれはあくまで社会的な立場が引き起こす違いであって、個人の優劣によって引き起こされるものでありません。
この平等的視点を手に入れるためには、次のような思考の癖をつけるようにすると効果的です。すなわち非主張的自己表現の傾向がある人は「(自分は)○○してはダメだ」と考えたときに、「では相手は○○していないのか?」と問います。攻撃的自己表現の傾向がある人は「(他人は)○○してはダメだ」と考えたときに、「では自分は○○していないのか?」と問いましょう。
最初は思い込みのフィルター(「他人・自分が○○しているわけがない」)のせいで、この問いに正しく答えるまでに時間がかかるかもしれません。しかし根気よく続けていれば、平等的視点にたどり着くまでの時間は徐々に短くなっていくはずです。
コミュニケーションをアサーティブに!
アサーションは互いに尊重し合うコミュニケーションを目指すための自己表現技法です。そのため「自分の意見を通すための技術が欲しい!」という人には無用の長物です。しかしアサーティブな自己表現を、いつでも誰に対しても行えるようになれば、間違いなくコミュニケーションがもっと楽しく、活発になるはず。自分の中の甘えに囚われないコミュニケーション能力が欲しいなら、アサーションは必要不可欠な考え方です。
参考文献『アサーション入門 自分も相手も大切にする自己表現技法』

