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世界のエリートは「美意識」を鍛えている
2016年11月13日の英フィナンシャルタイムズは、減少傾向にあるMBAの出願数に対して、グローバル企業がこぞって幹部候補生をアートスクールや美術系大学への研修に送り込んでいる実態を伝えました。
今世界のエリートは、わざわざ会社のお金を使ってまで「美意識」を鍛えているのです。ここでは電通やボストン・コンサルティングでの経歴も持つ山口周さんの著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」』をもとに、ビジネスマンに美意識が必要な理由と、エリートが実践している美意識のトレーニング方法を紹介します。
なぜ「美意識」が必須スキルなのか?

山口さんは著書の冒頭で、「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」の答えとして以下の3つの理由を挙げています。
1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している
前掲書p15〜19より抜粋
論理や理性といった「サイエンス」は人類史上最も妥当性の高い方法論として君臨してきました。しかしいまビッグデータやAIの発達、世界市場の成熟、グローバル化やネットワーク化があらゆる角度からサイエンスの絶対性を揺るがしています。
そこで世界のエリートやその雇用主であるグローバル企業が注目しているのが、これまで正しい意思決定の邪魔者として扱われてきた直感や感情をもとにする「アート」なのです。
アート、美意識とはすなわち「真・善・美」に対する判断基準を指します。何が真実で、何が善いことで、何が美しいのか。
それを「論理」「法律」「顧客分析」といった客観的な外部の切り口ではなく、美意識という主観的なの内部の切り口から判断する。
この外部から内部への判断基準の転換こそが、世界のエリートやその雇用主であるグローバル企業が狙っている「アート」の効用です。
脳科学が示唆する「論理」と「直感」の関係

前掲の3つの状況を証明する例はたくさんありますが、ここでは1944年生まれの脳科学者アントニオ・R・ダマシオが唱えた「ソマティック・マーカー仮説」が示唆する「論理」と「直感」の関係を紹介します。
ソマティック・マーカー仮説とは、外部からのある情報に対して呼び起こされる身体的感情が、前頭葉腹内側部に影響を与え、「良い/悪い」に分別して意思決定の効率化に一役買っているのではないかとする仮説です。
ダマシオはこの仮説を高い知能指数を持ちながらも、前頭葉の損傷によって感受性や情動が極端に減退した被験者たちの分析を通じて導きました。
身体的感情とは心臓の鼓動が早まったり、口の中が乾いたりといった、情報に対して身体が見せる反応のことです。すなわちダマシオはほとんど反射的に沸き起こる感情が、論理的・理性的な意思決定をより良いものにしている可能性があると指摘したのです。
一般的に感情は論理的・理性的な意思決定の敵とされています。しかしソマティックマーカー仮説に従えば、むしろ感情をうまく意思決定に取り入れた方が、無駄な論理的・理性的手続きを省略できるというわけです。
ダマシオの仮説は感情の重要性だけではなく、「感情や直感だけでも、理性や論理だけでもダメ」という両者のバランスの重要性をも示唆しています。
つまり効率的かつ正しい意思決定には、美意識に基づいた感情的・直感的判断よる効率化と、理性や論理に基づいた精査が必要だということです。
世界のエリートが実践している4つの「美意識」トレーニング

しかしいきなり「これからのビジネスマンには美意識が必要」と言われても、何から始めていいのかわからないという人も多いでしょう。以下では山口さんが著書で挙げている4つの具体的な方法と、その効用を紹介します。
●「VTS」で見る力を鍛える
VTSとは「Virtual Thinking Strategy」のことで、絵画などの視覚的芸術を使ったワークショップを行い、参加者のアートの鑑賞力を磨くというものです。
このワークショップでは作者や時代の解説などはほとんどなく、目の前にあるアートを見て、感じて、言葉にする作業をファシリテーターの誘導に従ってひたすら行います。
例えばファシリテーターの「何が描かれていますか?」という質問に対しても、AさんとBさんでは見えているものが違ったり、同じものが違うものに見えていたりします。
こうした経験を積むことで、自分が見ているものを見方によっては全く違うものとして見るという鑑賞力が身につきます。これを仕事の場面に当てはめてみると、「一見解決策のない状況」という見方をいったんやめて別の角度から状況を見直すという作業ができるようになります。
またアートの観賞力が身につくと、単純に日常や仕事での観察能力が向上します。実際2001年のエール大学の研究によれば、アートを用いたトレーニングによって皮膚科の疾病に対する診断能力が56%も向上したとされています。
●哲学で「知的反逆」の作法を学ぶ
古代・中世・近代の古い哲学から、現代のビジネスパーソンが学べるのは「知的反逆」の作法です。古い哲学は何百年、何千年も前の人たちが考えたことなので、ともすると非科学的で荒唐無稽な場合も少なくありません。
学生時代、ターレスの「万物は水である」という定理を聞いて「何をいってるんだ?」と笑った人も少なくないでしょう。しかし哲学を学ぶときに重要なのは「何を言っているか(コンテンツ)」ではありません。
私たちが注目すべきは「どのようにしてその結論に至ったのか(プロセス)」「哲学者が自分の所属する世界や社会に対してどのような姿勢を持っていたのか(モード)」です。
私たちは資本主義や日本の政治、マスメディアの情報に会社の方針など、様々な「システム」「常識」の中に所属して、その恩恵を享受しています。
しかしイノベーションを起こすにはそうしたシステムや常識の中にいながら、それらを疑う必要があります。この方法を学ぶのにうってつけの教材が哲学なのです。「でも哲学って小難しくて苦手……」という人には哲学者木田元さんの『反哲学入門』が読みやすくておすすめです。
●文学で「美意識の感度」を磨く
文学もまた美意識を鍛えるための教材になります。山口さんは著書の中でドストエフスキーの『罪と罰』を挙げ、この作品を読みながら「自分にとっての『罪人』は誰か」と考えるといった作業が、自分の中の美意識=真善美の感度を磨くことにつながると指摘しています。
「実用」とか「実践」という意味では役に立たないとされている文学ですが、自分の価値観に迫るような作品をがっぷり四つで読めば、必ず真善美に関わる自問自答につながっていきます。
特に近代小説はそうした自己省察に富む作品が多いので、これを機にじっくり腰を据えて読んでみてはいかがでしょうか。
●詩を読んでリーダーシップを高める
詩は文学よりも先に生まれた文芸であり、それゆえに敷居が高いと感じる人も多い分野です。しかし山口さん曰く、前掲書を書くにあたって調査した企業のうち複数以上の企業が、詩を用いたエクササイズを実施していたのだそうです。
それらの企業が詩を学ぶ理由として挙げたのが、詩を学ぶと「レトリック(修辞学。巧みな表現をする技法)」が学べるからというもの。言葉が人の心や行動に与える影響力は、わざわざヒトラーなどの為政者の演説を例に挙げるまでもないでしょう。
では言葉のどういうところが人を惹きつけるのかといえば、レトリックの巧みさです。
イギリスの政治家ウィストン・チャーチルが冷戦による東西両陣営の分裂を「鉄のカーテン」ではなく「なんだかギクシャクした、この嫌な空気」などと表現していれば、彼の演説が今に語り継がれることもなかったでしょう。同じことを言っていたとしても、言い方で全く印象は変わってしまいます。
詩はレトリックの宝庫です。美意識とともにリーダーシップを高めるには、これ以上の教材はないでしょう。
「アート」と「サイエンス」をバランスさせよう

ダマシオが示唆したように、美意識が重要だからといって非論理的でいいというわけではありません。アートとサイエンスは本来優劣を議論するものではなく、等しく重要かつ有益なものです。
しかし今のビジネスパーソンはついサイエンス偏重になる傾向があるため、改めて美意識を身につける必要があるのです。絵や哲学、文学や詩の素養がないという自覚のある人は、これを機に学び始めてはいかがでしょうか。
参考文献『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」』
