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偉人はみんなヒゲのオジさん?
「偉人」の顔を思い浮かべてみてください。誰の顔が浮かびましたか?きっとそれはヒゲが生えていたり、白髪だったり、きっとオジさんやお爺さんの顔でしょう。肖像画や写真に残る偉人の顔は既に偉業を成し遂げたあとの顔であることが多いため、誰もがそういった顔を思い浮かべるのです。
そんな渋めなイメージの偉人たちにも、あなたと同じようにフレッシュな若手時代があったはずです。彼らは若手時代にどんな努力を重ね、一体何歳でただの人から偉人になったのでしょうか?
偉人たちの25~30歳の若手時代の過ごし方をご紹介します。
初めは理解されなかった相対性理論「アインシュタイン」

アインシュタインといえば相対性理論、ノーベル賞、アッカンベーをしたお爺さん、というイメージです。しかしこの相対性理論、実は2種あり、その上アインシュタインがノーベル賞をとったのは相対性理論とは別の論文なのです。
もっとも有名な写真が”アッカンベー”であることもあり、アインシュタインが学者として大成したのは晩年であるようなイメージがありますが、アインシュタインが特殊相対性理論を書き上げたのはスイスの特許庁に勤めていた26歳の時のことでした。
しかし、特殊相対性理論は理解を得られなかったことから提出した大学に受理されず、代わりに提出した「分子の大きさの新しい決定法」が受理されました。この年は他にも「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」など立て続けに5つもの論文を提出し、奇跡の年と呼ばれています。その後28歳で式、E=mc2を発表し、30歳でチューリッヒ大学の助教授となり、ジュネーブ大学から名誉博士号を授与されます。
アインシュタインの人生の中でもこの若手時代はかなり密度の濃い時代です。彼は大学卒業後に助手になろうとしましたが失敗し、職を転々としています。生活に追われながらも目標を忘れず、彼の努力が実り始めた時代がこの若手時代でした。
その後アインシュタインは37歳で一般相対性理論を発表し、「光電効果の発見」によって42歳でノーベル賞を受賞しています。
助手として大学に残って研究を続けることができなかったアインシュタインの若手時代ですが、働きながらも当時の常識にとらわれない独自の研究を続けたことで彼はこの偉業を成し遂げられたともいえます。
42歳でノーベル賞を受賞したことが彼が偉人になった瞬間でしょう。アインシュタインは若手時代の助走から一気に駆け上がったタイプの偉人といえます。
大うつけから堅実な地固めをした若手時代「織田信長」

戦国大名三英傑として有名な織田信長。彼は25歳の時に尾張の国主となるところから若手時代のスタートを切っています。信長は国主になってからすぐに京都へ行き、足利義満に謁見し尾張国の支配のお墨付きを得ました。
尾張を統一した翌年、26歳の時には今川義元に尾張を侵攻されたことにより起こった「桶狭間の戦い」があります。この桶狭間の戦いでは2万人〜4万人とされる今川軍に次々と城を陥落させられながらも信長はチャンスが来るまで待ち、たった4000人の信長軍の奇襲により勝利を収めています。彼は奇襲の前に白飯にお湯を掛けたものを落ち着いて食べ、神社にお参りしてからこの奇襲を成功させたそうです。
この戦は信長のブランドや後世に伝わるキャラクターを確立させた戦いともいえ、その後の活躍においても信長自身に大きな影響を及ぼした勝利経験でしょう。
幼少期に一緒に育った徳川家康と清洲同盟を組んだのが信長28歳の時ですが、徳川家とは過去何度も争っており、この同盟を結んだのは織田家・徳川家それぞれ別の対抗勢力に対して武力を固めるためのものでした。信長が倒そうとしていたのは美濃の斎藤氏。
信長29歳の時に本拠地を信が築いた初めての城である小牧山城に移します。30歳で斎藤氏に対抗する力をさらに養うために妹のお市を輿入れさせることで浅井長政と同盟を結びます。その後信長は48歳時の本能寺の変で自刃するまで多くの戦いで勝利を収めます。
25歳で自分の陣地を持ち、26歳でピンチを乗り越えブランドを確立し、29歳で自分の城を建てた信長。30歳までに地固めを終わらせ、そこから天下統一を目指し始めたようです。子供の頃にはおおうつけと呼ばれていた信長ですが、若手時代は非常に手堅い駒の進め方をしているように見えます。
多くの偉人は子供の頃の変わったエピソードが目立ちますが、もしかしたら子供の頃に子供としての権限をめいっぱい使うことが若手時代の躍進に一役買っているのかもしれません。
数え切れないエポックメイキング「スティーブ・ジョブズ」

いまこの記事を読んでいるあなたの手に握られているのも彼の作ったiPhoneかもしれませんね。惜しまれつつこの世を去ったことも記憶に新しいスティーブ・ジョブズは25歳で既に2億ドルを手にしていました。
この2億ドルはホームコンピューター「AppleⅡ」を販売し大ヒットを果たしていたアップル社が株式公開されたことで得たお金です。個人宅でコンピューターを所有するという考え方が全くなかった時代に、このAppleⅡはセンセーショナルな商品でした。さらにコンピューターを「誰にでも扱えてノート代わりに使える」というコンセプトのもとジョブズ24歳の時にプロジェクトが開始されたのが「マッキントッシュ」でした。
26歳でオフィス向けコンピューターLisaのプロジェクトから外されたジョブズはこのマッキントッシュのプロジェクトに参加。開発中にもペプシの社長だったジョン・スカリーを口説き落としアップルの社長に据えるなど会社を大きく動かしましたが、29歳の時にやっと発売されたマッキントッシュが売れず、初めて赤字を抱えます。
あまりに多くのことに口を出すジョブズが会社を引っ掻き回していると考えたスカリー社長はジョブズをアップルから追放。これがジョブズ30歳の時のことでした。
ジョブズは23歳で100万ドル、24歳で1000万ドル、25歳で2億ドルを手にし、経済的にこれほど成功している若手時代を送っている偉人はなかなかいないでしょう。しかし、富だけが目的ならそこでアップルの歴史も終わっていたはずです。
ジョブズが偉人になった年齢はいつだったのでしょうか?アップルに復帰しCEOになった年齢?それともiPhoneが発売された年齢?多くのエポックメイキングを起こしているジョブズですが、長者番付に乗っても前進をやめることのなかった25歳の時に彼は既に偉人になっていたのかもしれません。
偉業を行っているのは今この瞬間かもしれない
あなたは今、何歳で、どんな仕事をしていますか?もしかしたら、いま必死にやっているその仕事こそが、自覚がなくてものちに歴史に名を残す偉業となるのかもしれません。
いまの時代を作った偉人たちが、その当時に偉業に取り掛かっていることを自覚していたとは限らないのですから。
[文・編集] サムライト編集部