コンテンツ力UPになんと「団塊の世代」と若手ビジネスパーソンとの大胆コラボの試み・・・

 活字メディアではすでに「団塊の世代」の知見を取り込む動き

昭和22年(1947年)~昭和24年(1949年)に生まれ、第一次ベビーブーム世代といわれるのが、いわゆる「団塊の世代」。

高度成長などわが国が体験した大きなうねりとともに人生を歩み、現在は齢(よわい)70歳を前に、団塊シニアは大量消費の重要なターゲットになっています。

3.11、少子化や限界集落など新たな問題に、「全共闘世代」でもある彼ら「ジジサヨク」は吠えていますが、元新聞記者やメディア関係者が古巣の新聞社やネット上で若い現場のスタッフと〝共創関係〟をつくり始めているのです。

なぜ世代を超えてコラボは実現したのか?

この設問には「団塊の世代」の思いと、現場を仕切るスタッフの双方の「言い分」があります。ここでは団塊世代の胸の内を・・・

ここに興味深い調査データーがあります。電通総研が「シニア×働く」を調査したもので、団塊の世代を軸に60~69歳の2,600名の男女を対象に定年後も「仕事や働くこと」への意欲を述べています。

■概略すればー超高齢社会が進行する中、「定年後もシニア層のスキルや経験を生かしたい」との思いを鮮明にしています。この「スキルや経験を生かしたい」との意欲が実はコラボの大きな核になっており、例えば古巣の新聞社からアプローチがあった編集OBはこう語っています。

ある著名な文化人が亡くなったとき、現場の担当記者はその方と個人的なお付き合いがなく、もちろん追悼記事を書くだけの材料がありません。活字媒体、とくに新聞社の場合、追悼記事の出来不出来、いかにボリュームたっぷりにエピソードを盛り込んで、故人の生前を活写するかで、新聞社の基礎体力や力量が問われます。駆け出しのころから公私に渡って付きあっていた私に原稿の依頼があった訳ですが、そのことがきっかけで、時代や状況を俯瞰視する〝もうひとつの目〟として紙面づくりに協力して欲しいとの依頼があり、現在も続いています。

もちろんOBと現在編集を仕切っている現場との相性や新聞社の編集方針など、クリアや確認しなければならないことは多々ありますが、お互いの前提条件は「いかにコンテンツ力をアップさせるか!」ということです。

メディア以外でも各業種で定年後、シニアスタッフとして起用したり、経営幹部と事象の分析など意見交換をしたり・・共創関係は増えているようです。

現場を差配するスタッフにとって「団塊の世代」への興味

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■厚労省の統計によれば、昭和22年から3年間の「団塊の世代」の合計出生数は約806万人。「宝の山」と言われた彼らは、社運をかけた通販各社やメーカーの重要ターゲットになりましたが、マーケットは活発には動きませんでした。

いまも「バリアフリー」を掲げた商品開発や、健康・趣味、知的好奇心などにスポットを当てて団塊シニアにアプローチしています。ただ「年金問題や福祉行政の波が押し寄せ、ひとつの塊としての団塊の世代は、各人各様の個人史に帰結しているのも事実です」(メディア評論家)。

しかし、戦後のバブル景気の先頭に立ち、政治的にも経済的にも先陣を切った団塊の世代はいまなお大量消費者であり、メディアにとっては大量読者であり、とくに活字媒体に属した彼らのスキルや取材対象との対峙の仕方、喜怒哀楽の感情を鮮明にした文章力は、いまも新鮮で実践的でもあります(同評論家)。

巷に溢れる「良い文章の書き方」や「発信力のノウハウ」本などはサラッとは読めますが、なんだかライト感覚で、著者が取材対象と丁々発止をした息遣いや思いのほどが希薄に感じられるーとの指摘もあります。
高度成長後の「軽・薄・短・小」のようです。

「体のいいHOW TO本に仕上がっていて、そんな類のメディア論が多く、心にひびかない。それよりも団塊の世代を経験した記者OBの話の方が、説得力が感じられます。確かに彼らとのコラボは手法や言葉の使い方など曲折もあるでしょうが、若いスタッフが団塊の世代を取り込むーという気概でガチンコするのもいい刺激になるかも知れません(シンクタンク研究員)。

要は内容がおもしろい、読んでもらえる、販促や広告集稿に繋がるコンテンツをどう作り発信するかー若い編集者が多様なメディアの会議やコンテンツ研究会などで、団塊シニアと活発な意見交換をしている光景が目立ちます。
様々なコラボレーションはすでに始まっているのかも知れません・・・

過去には「団塊の世代」取り込みにこんな仕掛けも

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「団塊の世代」取り込みについてエンタメ界では、こんな動きがありました。

仕掛けたのは吉本興業。そのコンテンツを詳述したのは朝日新聞。平成18年(2006年)11月の朝日電子版は下記のように報じています。

■タイトルは「吉本興業が落語・漫才ネット配信 団塊世代取り込み狙う」

吉本グループが、主にお年寄りを対象に、インターネットを通じて無料で「お笑い」を楽しめるサ―ビスを始めた。「笑は健康に役立つ」とアピ―ルしっつ、定年退職が目前の団塊世代を取り込もうと、ちゃっかりそろばんもはじく。この配信事業は吉本所属のベテラン芸人を中心に、約100件の落語や芝居などを動画で楽しめる(概略)。

その後、吉本のネット展開はコンテンツの充実やネットワークの拡大など、エンタメ界ではパイオニア的な存在で注目されています。

「所属芸人に団塊シニアがいることもコンテンツ作りや動画の選択に有利に働いた。先を見て商売をするとは、さすが吉本と話題になりました」(テレビ記者)。

■次に紹介するのは、タイトルが話題になった「お達者くらぶ」です。
昭和50年(1980年)4月、NHKが当時の教育テレビで高齢者向けの生活情報・教養番組として、週4日のレギュラーでスタートさせたものです。
団塊の世代が注目される前のコンテンツですが、タイトルの親しみやすさが話題になり、番組ではしっかりとお年寄りの〝主張〟にも耳を傾けていました。8年間も続いた長寿番組になりました。NHKの先読みだったのでしょうか・・・

「個としての団塊シニア、世代としての彼ら。時に団塊世代を素材として、時に時代のうねりを体験した表現者として・・・とくにメディア関係のOBとの交流は、スタッフが複眼的な目線を持つ意味でも意味深い」(メディア評論家)。

世代を超えて「団塊の世代」とどう面白がることが出来るか?

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■「団塊の世代」という言葉は、堺屋太一の近未来小説「団塊の世代」に由来しています。昭和51年から月刊誌に連載を始めたもので、団塊シニアの浮沈や過去・現在・未来の生き方の予測が恐ろしいほど的中しています。

そうした彼らとの出会いは「未知との遭遇」か、それともすでに共創関係を構築しているかー「団塊の世代」は「ビートルズ世代」とも言われ、文化的には村上春樹や宮本輝などの純文学の担い手を生み、その他、すでに「大家」と呼ばれる作家が、各ジャンルを牽引する活発な表現行為を行っています。

新鮮な感性を持った若い人たちとの出会いや共創は、こちらが刺激を受けることがあります。コンテンツ作りについても座組みに加わることで、多面的な見方が出来て、作品に色合いや厚みが加わり、そうしたアプローチをお互い積極的に行いたいものです。唐獅子牡丹の健さんのように朴訥でいたいーが本音です。要は時代を照射しながら、どう面白がるかだと思います(記者OB)。

最近、若いクリエーターや編集スタッフが軸になって、様々なウエブマガジンが誕生しています。中には団塊シニアと積極的に交流して編集作業の内側で、それこそ世代を超えて共創関係を前進させている現場もあります。

いかにおもしろいモノをつくるかーこれが究極の課題。団塊シニアの知見や弁舌には敵わないこともありますが、全共闘世代風に言えば、いまだ現役を張っている方との出会い→徹底した話し合い→方向性の確認を経て、彼らの知見をどう具体化できるかが一番の課題。こちらの編集者としての成熟度が試される意味でも、刺激的な出会いを楽しみにしています(ウエブ編集者)。

「失われた10年」を体験した「団塊世代」か、個としての団塊シニアの属性か?コラボの相手は「後者の知見」、取材対象は前者との答えが大半です。

あまり団塊の世代の軌跡を難しく考えると、社会考現学的に迷路に入ってしまいそうです。記者OBや若い編集者が語っていたように、これまで交わりの少なかった人たちと出会って、どんな化学反応を起こすか。受け手に衝撃波を起こすくらいのスパークを発するか・・・

NHKだって「お達者くらぶ」でお年寄りを大胆にも登場させたのですから。

[文]メディアコンテンツ神戸企画室 神戸陽三 [編集]サムライト編集部