第一国立銀行(のちのみずほ銀行)の設立をはじめ、日本郵政や日本鉄道会社(のちのJR)、東京電灯会社(のちの東京電力)、帝国ホテルなど約480社の会社設立に関わり、「日本資本主義の父」としても知られる実業家の渋沢栄一。2024年度に刷新される一万円紙幣の図柄に採用されたほか、現在NHKで放映されている大河ドラマ『青天を衝け』でも話題となっていますね。
そんな渋沢の集大成とも言える書籍が『論語と算盤(ろんごとそろばん)』。いまから100年ほど前という明治時代に「孔子が唱えた『論語』による人格形成」と「資本主義の利益追求」という一見相反するような二者両立を掲げた彼の主張は、経営者やビジネスパーソンの教養本としていまなお支持されています。本記事では資本主義社会が激化する現代において改めて立ち返るべき視点を、渋沢栄一著、守屋淳翻訳の『現代語訳 論語と算盤』から学び解説していきます。
武士の精神と商人の才覚をあわせ持つ「士魂商才」が必要
渋沢は実業というものを「世の中の商売や工場生産といった活動が利潤を上げていくこと」と考え「強い思いやりを持って、世の中の利益を考えることは、もちろんよいことだ」と評価したうえで、以下のような指摘をしています。
自分の利益が欲しいという気持ちで働くのも、世間一般の当たり前の姿である。そのなかで、社会のためになる道徳を持たないと、世の中の仕事というのは少しずつ衰えてしまう。
商売を行い世の中の利益を考えることはよいことだけれども、道徳心がなければ続かないと考えた渋沢。そこで渋沢が提唱したのが、武士の精神と商人の才覚をあわせ持つ「士魂商才」。これは世の中で生き抜くためには武士の精神が必要だが、それだけに偏ってしまえば経済的に自滅する可能性があるため、商才もなければならないという考え方です。この士魂商才を養う上でも役立つのが『論語』だと渋沢は考えました。

ご存知の方も多いと思いますが『論語』は、春秋時代の中国にて活躍した孔子とその弟子たちの言葉で語り継がれた書物で、いわゆる「人はどうあるべきか、どう生きるべきか」が示された古典です。中国だけでなく日本、韓国や東南アジアでの影響力も強く、渋沢栄一もこの古典に影響された人物のひとりで、社会を生き抜く教えとして尊んでいました。
渋沢は同書で以下のような孔子の言葉を引用しています。
人間であるからには、だれでも富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だが、まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない。逆に貧賤な生活は、誰しも嫌うところだ。だが、まっとうな生き方をして落ち込んだものでないなら、無理に這いあがろうとしてはならない
この孔子の教えは、武士道の大事な考え方である「正義」、「廉直」(心がきれいでまっすぐなこと)、「義侠」(弱気を助ける心意気)に当てはまる教えだと渋沢は考えました。その上で渋沢は、以下のような警鐘を鳴らしています。
ところが日本の商工業者は、いまだに昔の慣習から抜け出せずに、ややもすれば道徳という考え方を無視して、一時の利益に走ってしまう傾向がある。(中略)およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。それでは権勢や地位を長く維持できるわけもないのだ。
つまり持続可能な経済活動を行うのであれば、人の踏むべき道を歩み、私利私欲よりも公益を重視せよというのが渋沢の示す商人としてのあり方です。そもそも日本には江戸時代より売り手良し、買い手良し、世間に良しという「三方良し」という近江商人の経営哲学もありました。こうした商人としての道徳を携えて商売を行うことが、経営者、ビジネスマンにとっては大切なことと言えそうです。

また、目先の利益ばかりに目が眩めば、大局的な観点が抜け落ちてしまいますし、短期的な結果しか生み出すことができません。長期的な視野で物事を考え、道徳に則った行動をすることも大切だと渋沢は考えました。これは近年世界で掲げられている目標の一つ「SDGs(持続可能な開発目標)」にも通じる考え方でもありますよね。限られた資源を使い尽くせば、経済自体が回りませんし、利益も何も生み出せません。持続可能な開発目標を達成することは、すなわち持続可能な経済を行うことでもあります。
不測の世の中を生き抜く上では「智」「情」「意」が大切
バブル崩壊やリーマンショック、世界的なパンデミックなど、人は生きていると不測の事態に遭遇することも少なくありませんよね。ビジネスでももちろんそういった、予想できない出来事に苦慮することも少なくないでしょう。そんな世の中を生きていく上で必要となるものが常識だと渋沢は考えました。この常識とは「何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善意を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動が中庸にかなうもの」と渋沢は解説しています。この常識を構成するものが、「智」(知恵)、「情」(情愛)、「意」(意思)です。
人として知恵が十分に発達していないと、物事を見分ける能力に不足してしまう。(中略)しかし「智」ばかりで活動できるかというと、決してそうではない。そこに「情」というものがうまく入ってこないと、「智」の能力は十分に発揮されなくなってしまう。(中略)しかし、「情」にも欠点はあって、それは瞬間的に湧き上がりやすいため、悪くすると流されてしまうことだ。(中略)この時点で「意志」というものの必要性が生じてくるのである。(中略)しかし意志ばかり強くて、他の「情」や「智」がともなわないと、単なる頑固者や強情者になってしまう。
このように常識は「智」(知恵)、「情」(情愛)、「意」(意思)によってバランスよく構成されていることが大切だと渋沢は言います。確かにこれらは人と関わるうえでも、社会で生きていくうえでも大切な心がけでありますよね。経営者やビジネスマンとして人をマネジメント、動かしていくうえでも心得ておく必要があることでしょう。
時代の転換期にこそ見直したい『論語と算盤』的な考え方

幕末から明治維新という価値観も異なる激動の時代を生き抜いた渋沢栄一だからこそたどり着いたとも言える『論語と算盤』的な考え方。アナログからデジタルの転換期でもある今の時代にもその考え方は通用するものがあるように感じます。
どうしても私たちは戦後的な価値観で物事を考えてしまいますが、人間が根源的に大切にすべき考え方は昔から長く語り継がれてきた思想にこそヒントがありそうです。今回ご紹介した以外にも『現代語訳 論語と算盤』ではたくさんの学びが示されていますので、ビジネスで判断に迷ったり、マネジメントに悩んでしまった時など、ページをめくってみてはいかがでしょうか。
[文]中森りほ [編集]サムライト編集部