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「遊びのススメ」をワイルドに発信する熱量は何なんだァ!
以前このCSで取り上げた短パン社長の奥ノ谷圭祐さんみたいに、ホリエモンと成毛真さんの発信力と熱量がハンパじゃない。(※二人は10年以上の付き合い)
時代の最前線で「生きる」「考える」「稼ぐ」など、人生の局面でユ二―クな提唱をしている二人の賢人。ホリエモン (堀江貴文さん 43歳)、成毛眞さん (元マイクロソフト日本法人社長 60歳)。
旧知の二人が期を同じくして、「遊びにハマれ」「「遊びが仕事になる」とススメどころか挑発しているのです。成毛さんは『大人はもっと遊びなさい』(PHPビジネス新書)、ホリエモンもYouTube番組やツイッターで「徹底的に遊び尽くす」と力説しています。そう断言されると二人の真意や本音をググりたくなります。
TOP画像出典:堀江貴文イノベーション大学校
「遊びはチャラくていい」という成毛流・あそびの心とは
先月中旬に発売された「大人はもっと遊びなさい」。副題は「仕事と人生を変えるオフタイムの過ごし方」となかなかアカデミック。内容は株の相場で使う‶逆張り〟つまり遊びのフィールドで自在に持論を展開しながら、逆説的に人生の指南が主題ではないか、と思ってしまいます。巻頭言(はじめに)からして挑発的。とにかく威勢がいいのです。おまけにスパイスも効いていて・・・
完全に自分でコントロールできるのが、遊びなのである。主体的に生きたければ、人間、ともかく遊ぶべきなのだ。しかも仕事に真面目で勤勉な人ほど、いい加減に遊んだほうがいい。子どもの頃を思いだしてほしい。遊びはチャラくていい。成熟した日本社会の中ではそうやって遊んでいる大人は少ない。だから際立つ。そういう人に限って、ビジネスでも成功を収めているのだから不思議だ(はじめより一部抜粋)
仕事だけの人生はつまらない。オンとオフ、メリハリのきいた人生を楽しむ成毛流あそび論が、本書でどう展開されているのか。
成毛さんは投資コンサルティング会社を設立して、「実利を競う」シビアな世界にも身を置いています。4月に『これが買い』だ:私のキュレーション術」を著しています。それだけに実利と対極にある遊びの本にも、「あふれる情報に流されず、本物を見極めて手に入れるなら、世間の逆行を行け」の思いが連動しています。
「大人はもっと」は全5章から成っており、「できる大人は、遊んでいる」(1章)「真面目に遊ぶな」(2章)、「成毛流・新しい遊びの始め方」(3章)など、チャプターのタイトルもシンプルながら刺激的です。
逆張りの見方がしびれる本書の気になるホネの部分
成毛さんは本書で「マネ―ジメント」と「遊び」を対比させて、30代は自分の色を決めて一点集中する時期。40代は他人の色を取り込んでカラフルになる必要があると主張。遊びが人の幅を広げ、「チャラチャラしているからマネ―ジメントに成功している」と、持論を展開しています。文中には自身の遊び体験やユ二-クな発想、個人的にはなぜマイクロソフトを辞めたのか、その理由も告白しています。
■第1章で気になったのは、「仕事の延長で遊ぶ」「遊びは仕事の役にたつか」の項
仕事のために無関係の遊びを探そうというのも、それはそれで辛い修羅場の道。だから仕事のことはいったん頭から追い出して、ぴんとくるものに触れてみるのが一番だ。意外なところで意外な形で仕事の役にたってしまうことがある(一部抜粋)
多くの遊びの扉のツールに「スマホに遊びを詰め込め」「iPadで遊び探し」と、知の遊びにiPadを取り上げているのも面白い。
■第2章では「真面目に遊ぶな」「複数のジャンルを同時に楽しめ」
遊びは勝手きままにマイペースで楽しむのが一番。ある遊びと別の遊びとの掛け合わせが、思わぬ面白さを生む可能性がある。自分だけのオリジナリティ豊かな楽しみに出会える可能性もある(一部抜粋)
遊びを屋内系、屋外系、さらに体験系や没頭系など細かくジャンル分けしているのはさすが。成毛流「遊びの定義」は、「誰と競うでもなく自分のペースで取り組めて成長を実感できるものこそ遊び」というものです。
果敢に遊び論を提唱する成毛さんは、86年にマイクロソフト入社。社長を経て2000年に退社。その退社理由がユ二―ク。
「ハマったところから自分を抜け出させるには、ハマりきってそして飽きるしかない」「マイクロソフトの社長を辞めたのも、経営に飽きたから」「ハマり過ぎて飽きたのだ」
■第3章のタイトルは「成毛流・新しい遊びの始め方」すべては本から始め遊び仲間が欲しいなら、誘いまくるしかないと遊びのきっかけを伝授。「出会い系としてSNSを使うのも、私の好きな遊びの一つ」と、なんとも好奇心旺盛。
■成毛さんの好奇心は4章「ずらせばずらすほど遊びは面白い」に引き継がれ、「意外な趣味は強烈な印象を与える」。ここまでくると‶成毛ワールド〟全開の趣です。
■最終の第5章のタイトルは「誰かに語るまで遊びである」
遊びならあの人と間接的に言われよう。自分が今、どんな遊びをしているかはどんどん話すに限る。私のいないところで、最近こんなことにハマっているみたいと言ってくれる。誰にも話さずに遊ぶのは、遊んでいないのとほぼ同じだ。(一部抜粋)
遊びにハマれと提唱する成毛さんが、シビアな注文を付けたのは、最終項の「何をキュレーションするかで人物がわかる」。その真意は「どんなことが好きか、また、どんなことを好きと口にするかでその人となりがよくわかる」というもの。
最終章では知的好奇心や文化論を射程圏に、「遊び」を客体化して論考を深めています。本書の主題が鮮明になっています。
「本の主張は至ってシンプル。難しく考えず大人はもっと遊べということ」」との声もありますが、どうしてどうして逆張りの人生論になっています。「やれスキルをアップしろ」「資格を身に付けろ」という風潮を、「遊びにハマれ」と斬りながら、遊ぶ人の生き方に舌鋒鋭く迫るあたりは、成毛さんの真骨頂です。
「遊びが仕事になる時代」と提唱するホリエモン
最近はホリエモンチャンネルやツイッター、著書にバラエティ番組にも出演して発信力をパワーアップさせています。遊びにハマる情熱は成毛さんと同じでも、ホリエモンは「いまは遊びが仕事になる時代!」と、新しい仕事観を提唱しています。
「いまは遊びだって思われてることは仕事になる」「近未来の仕事は今遊びって定義されている」「遊びの達人がこれから必要とされる時代」(いずれもツイッターより)
ホリエモンの職歴やうねりの大きい生き方は、いまさら説明は要しないでしょう。常に時代の最前線に立ち、何を発信するか注視されています。3月には自分の名前を冠にした『堀江貴文という生き方』(別冊宝島)を著し、経験から培った生きるヒントをたっぷり披露しています。
「私は遊びを仕事にして、仕事を遊び倒す人生を送っている」とホリエモン。遊びにめざめ、ハマった昔を述懐しています。
人よりもハマりやすいと気づいたのは、中学くらいだ。一度楽しいと感じた遊びは、ひたすら遊びつくす。そして中1のときにパソコンに出会った。プログラミングを自分で覚えて、お金を稼ぐようにもなった。私ぐらいまで、パソコンいじりにハマりきった男子は、少数だと思う。私は独学でプログラムを学び、インターネットを知り、やがて起業を果たした。ハマることの延長で多くのビジネスチャンスを得てきた(別冊宝島抜粋)
ホリエモン流「遊び=仕事」の新しい仕事観をどう見るか
時代を生き抜くヒントや新たな仕事が生まれるヒントは、遊びの中にあるというホリエモン。やっかいなことに遊びと仕事の境界線がファジー。それどころか「境界線はない」がホリエモンの主張です。一体、遊び=仕事にどう向き合えばいいのでしょうか。
会社ではスキルUPが求められ、書店に並ぶ「〇〇に成功するための方法」といったビジネス本を読み漁り、何かを習得するために近道をしてしまう。しかし現実はそう甘くはない。遊びは発想の宝庫。遊びで培った人脈もある。手軽な自分探しを止めて、遊びのフィールドに自分自身を放り投げたらどうだろうか。そのことを成毛さんは提唱し、ホリエモンは具体的に仕事に直結させて論を進めています(シンクタンク研究員)
こうなると真面目に働く定義が昔とは全く違います。ホリエモンのように新しい遊びを開拓するには、情報を収集して選別するキュレーション力を稼働させ、遊びを吟味しなければなりません。そうでなければ遊び=仕事の図式は成り立たないでしょう。
ロケット打ち上げがカウントダウンのホリエモンですが、「いま投資すべきは遊びの事業化だよね」と大胆予想をします。確かに稀有の才能と行動力(資金力も)あるホリエモンだからトライ出来ることは多いでしょう。それでも「新たな仕事が生まれるヒントは、誰しもの身近にたくさん転がっている」は示唆的です。
「遊びはチャラくていいのか」を改めて自問自答!
成毛さんとホリエモンが提唱した「遊びにハマれ」「遊びはチャラくていい」。なんともワイルドな言葉ですが、そこは情報のプロ・キュレ―ター。逆張りの人生論や戦略的な仕事術を言葉巧みに展開させています。成毛さんは個人を対象に遊びを指南、ホリエモンは遊び=仕事にこだわり、その先を推論しています。
「科学脳」を持つ二人が期を同じくして遊びについて発言したのは、若い人が現代社会を生き抜くために、自作自演のスキルアップやブランディング、そのための近道は止めた方がいい、との思いがあったからでしょう。
二人は対談で、科学技術をビジネスにして「儲け話」までしています。しばらくは成毛さんとホリエモンをググって、彼らの遊び論にハマったか、飽きたか、自問自答してみて下さい。いまの立ち位置に安閑としてはダメだと気づくかも知れません。
