消費者に愛される成城石井ブランドを育てた経営者の哲学とは?

成城石井はスーパーなのになぜ「ブランド」になったのか?

輸入ワインに高級チーズ、ハイクオリティなお惣菜や生鮮食品など、あらゆるジャンルの一級品が格安で手に入るスーパーマーケット・成城石井。このスーパーは以前イギリスの新聞記者が「スーパーマーケットのルイ・ヴィトン」と評したほど、ブランドとしての品質やイメージを確立しています。ここでは成城石井がいかにして「ルイ・ヴィトン」の地位を築いたのかを解説します。

画像出典:http://www.luckland.co.jp/result/supermarket/post_101.html

「成城石井」を生んだ発想

成城石井の創業者・石井良明さんは両親が経営していた石井食料品店の社長に就任してから3年後の1976年、社名を株式会社成城石井に変更し、当時大型資本が隆盛を誇っていたスーパーマーケット業界に参入します。

当時の石井食料品店は成城に店舗を構えていましたが、その目の前に開業したのが小田急商事が経営するOdakyu OXでした。

この一見まるで勝ち目のない戦いを突破するために、石井さんが大切にしたのは「競合するより共存する」という発想です。「Odakyu OXに売っていないものを成城石井で置き、両方の店で1店分の品揃えができれば良い」石井さんはそう考えたのです。

そこで生まれたのが「普通」の商品を捨て、「高級だが品質の良いもの」だけを扱うという今の成城石井のスタイルです。

このスタイルは一般的なお金持ち以外にも黒澤明や市川崑など文化人も多く住んでいた成城という土地で、熱烈に迎え入れられます。自分が戦う市場の性質を冷静に見極め、「どこもやっていないこと」を実行したからこそ、「成城石井」は生まれたのです。

「自分の目で見て選ぶ」という哲学

Incense for sale

自社で貿易会社を持ち、専門のバイヤーが世界中を飛び回って買いつける輸入品や、石井さんが直接食べて最終ジャッジを下してきたお惣菜など、成城石井には「自分の目で見て選ぶ」哲学が貫かれています。

これは石井さんが石井食料品店時代に果物市場に足を運び、自分の舌と目で仕入れをしていた頃から変わりません。「とにかく一番品質の良いものを」それを基準に選ぶためには卸売業者の話を鵜呑みにしていてはダメなのです。

この哲学は商品だけにとどまらず、人材戦略にまで及びます。石井さんは人事部長とタッグを組んで採用を自ら担当し、会社説明会から面接までみっちりと関わって、自分の目で見て選んできました。

新入社員教育では石井さん、取締役、人事部長などがリーダーとなってグループを作り、月に1回の勉強会を開きます。テーマは自由。古典を読んだり、美術館に行くなどして経営陣と新入社員がコミュニケーションをとり、彼らの成長を自分の目で見ながら絆を深めていきます。

成城石井は「他人任せ」にすることで起きる認識のズレや誤差を許しません。だからこそ安定して高品質なモノ・サービスを提供できるのです。

「地に足をつける」ことの重要性

Analyzing report

成城石井では「地に足をつける」ことも大切にしています。成城石井が2号店を開店したのは、1号店を出店してから12年後の1988年です。大手チェーン企業では自社のビジネスモデルを真似られる前に圧倒的なシェアを獲得しようと、まともな経営ノウハウがなくても出店するのがセオリーです。

その中で多少の犠牲が出ても仕方ない。そう考えているのです。しかし、今でこそ経営ノウハウが構築できたので、出店加速化に舵を切っていますが、当初の成城石井はそれをせず、自分たちの身の丈に合ったペースで事業規模を拡大していったのです。

またこの「地に足をつける」という考え方は、経営組織にも浸透しています。例えば本社管理部と営業部の関係です。本社組織である管理部は、放っておくと権限が肥大化し、他部署に余計な圧力をかけるようになりがちです。

しかし成城石井では管理部の予算を「営業部の粗利の15%」と決め、得られた利益からのみ権限を執行できるように抑制しています。これも実態と離れた経営にならないようにするための、「地に足をつける」やり方と言えます。

一見すると地味な考え方ですが、地味で当たり前のことをコツコツとやっていくからこそ、顧客や取引先への信頼につながり、結果「ブランドの確立」を実現できるのです。

「情報の価値」を知る

成城石井は食品を扱う企業ですが、同時に「情報の価値」を重んじてきた企業でもあります。スーパーマーケットという業態が世の中に増え始めた黎明期、この業態をどのように運営していけば良いかを知る人は限られていました。

その時石井さんは闇雲に進むのではなく、数多くのプロフェッショナルに知恵や知識を提供してもらうことで乗り越えてきました。

セルフサービス形式のスーパーの第1号である紀ノ国屋青山店の設計を手掛けた、スーパーマーケット建築の第一人者・橋本邦雄さんに店舗設計を依頼する。

すでに1962年にスーパーをオープン、成功させていたナショナル麻布の支配人にスーパー運営のノウハウを教えてもらう。酒造業界の権威・戸塚昭さんに酒類部門のコンサルタントを依頼する。

そうした一級の情報を一級の人物から正当な対価と引き換えに手に入れることで、その対価以上のメリットが自社にもたらされるということを、成城石井は知っているのです。

また「情報の価値」は自社内だけでなく、消費者に対しても同じくらい大切にしています。従業員の深い専門知識はもちろん、プライスカードの商品説明にも早い時期から力を入れてきました。

石井さんいわく、「情報をお客様にお伝えすることによって、商品はただ単に値段がついたモノ以上の価値を身につけます」。安い・高い、以外の価値の軸を情報によって作れば、安さだけで勝負しなくてもよくなります。これもまた成城石井が「ブランド」たる所以です。

地味で小さな積み重ねが「ブランド」を作る

ここまで見てきた内容は、もしかすると他の本などで見たことがあるかもしれません。しかし成城石井は「ブランディング」という言葉がまだない頃から、ブランディングのためのコツコツとした努力を積み重ねてきました。

だからこそ今の成城石井があるのです。ブランドの確立に近道はありません。あるのは「地味で小さな積み重ね」という王道だけ、というわけです。

参考文献『成城石井の創業 そして成城石井はブランドになった』
Career Supli
成城石井の誠実な商売の仕方を知ると応援したくなります。そして見たことのない商品が並ぶ店頭はワクワクします。
[文・編集]サムライト編集部