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「ゆとり世代」の実態とは?
「ゆとり世代は学力が低い」「ゆとり世代は飲み会に来ない」「これだからゆとりはダメだ」現在の中堅以上の社会人は、こうした「ゆとり批判」をしたことはあるでしょうか。もし答えが「YES」なら、その言葉が必要以上にいわゆる「ゆとり世代」とのコミュニケーション不良を招いているかもしれません。
ここでは筑波大学の佐藤博志准教授と、岡本智周准教授が社会学的な観点でゆとり批判について研究した『「ゆとり」批判はどうつくられたのか 世代論を解きほぐす』を参考に、「ゆとり批判」の実態について解説します。そこには確たる根拠もないまま、言葉だけが一人歩きしている「ゆとり世代」「ゆとり教育」の現状がありました。
なぜ「ゆとり批判」は便利なのか?

●便利に使われる「ゆとり批判」
「ゆとり世代」の多くは、何かに消極的になったり、何か失敗するたびに「これだからゆとりは……」とため息交じりに言われた経験があるのではないでしょうか。佐藤准教授と岡本准教授の著書の中では、「ゆとり世代」の人たちを集めた座談会で、参加者が口々に自身の「ゆとり批判」の体験を口にしています。
確かに上の世代による次世代の批判はいつの時代も行われます。座談会の参加者の中には、「ゆとり批判」もそうしたものとして考え、受け流している人もいます。しかし問題なのは「ゆとり世代」というレッテルが、どんな状況にも応用できてしまう便利なものとして扱われている点です。
「自分の夢にこだわっている」「現実的で夢をみない(悟っている)」「飲み会に参加しない」「ルールは守る」「言われたことしかやらない」「空気を読め」引用:前掲書p150
佐藤さんはこれらの「ゆとり批判」を挙げ、その矛盾を指摘しています。とりあえず「ゆとり」を理由に批判しておけば、なぜか成立するような気にさせる力が「ゆとり批判」にはあるのです。これはなぜなのでしょうか。
●「ゆとり批判」が便利な理由
「ゆとり世代」以外の「団塊世代」や「新人類」といった世代へのレッテルの多くは、社会的な現象や社会環境の変化から生まれました。団塊世代ならベビーブーム、新人類なら新しいメディアやデバイスの登場です。これに対して「ゆとり世代」は、「ゆとり教育を受けた世代」という意味で使われるレッテルです。
「ゆとり教育」への批判は新聞を始め、これまで多くのメディアで行われてきました。そのほとんど全てが「ゆとり教育」をポジティブに扱わず、たとえ本人が成功していたとしても「ゆとり世代にもかかわらず頑張っている」という文脈で語られます。そんな教育を受けて育った「ゆとり世代」を上の世代から見てみると、「何か違う」と感じる。
世代が違うのですから「何か違う」と感じて当たり前です。しかしそこにいかにも説得力のある「ゆとり教育」という根拠があるので、なおさら「ダメなゆとり教育を受けたゆとり世代はダメだ」という批判にロジックがあるように思えてしまいます。
このように一見正しそうなロジックが存在するうえに、その根拠となる「ゆとり教育」がネガティブ一辺倒の評価しか受けていないので、前述のような矛盾した批判まで許容されてしまうのです。結果なんでもかんでも「ゆとり教育」を受けたことを理由に、便利に批判されてしまうというわけです。
「ゆとり世代」というレッテルの正体は?

一見正しそうなロジックで矛盾した批判までぶつけられている「ゆとり世代」ですが、実は「ゆとり世代」のはっきりした定義はありません。なぜならそもそも「ゆとり教育」の定義さえ、本当は曖昧だからです。
●「ゆとり世代」は学力が低い?
一般的に「ゆとり教育」とは1998年改訂学習指導要領による教育を指します。この教育を受けたのは1987年4月2日から2004年4月1日生まれの人たちです。したがって広義にこの世代を「ゆとり世代」と呼びます。「なんだ定義はあるじゃないか」と思うかもしれませんが、問題は「ゆとり批判」の中に1998年改訂学習指導要領への理解がないという点です。
「ゆとり教育」には「ゆとりなんか持たせた教育をするから、その世代がダメになったんだ」という批判が込められています。しかし1998年改訂学習指導要領自体に学力を低下させたり、行動様式を変容させるような要因があったとする科学的根拠は現時点では存在しません。
それどころか「ゆとり世代」は、国際教育到達度評価学会(IEA)の学力調査「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」ではずっとトップクラスを走り続けてきました。
世に言う学力低下の原因は、「ゆとり世代」が2000年から3年ごとに実施されるようになった経済協力開発機構(OECD)の学力調査「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」に慣れていなかったからです。一方、2008年改訂学習指導要領はこのPISAに合わせた教育方針をとっています。その教育を受けた「ゆとり世代」以後の世代では「学力が上がった」という評価が出たのは、当然といえば当然でしょう。
こうして見ると「ゆとり教育を受けた世代は学力が低い→だからゆとり世代はダメ」というロジックは、全く意味をなしません。これは「江戸時代の商人は学校教育を受けていない→だから江戸時代の商人はダメ」というロジックと同じくらい、むちゃくちゃなものです。
●「ゆとり世代」というレッテルに意味はない
「ゆとり世代」と上の世代とを比べれば、もちろんそこには行動や生活様式の違いはあります。しかしそれは「ゆとり世代だから」という安直なロジックでは説明できないものです。携帯電話やインターネットなどのテクノロジーの存在や、少子化を始めとする家族形態の変化など、もっと複雑な要素が絡み合っているのです。
「ゆとり批判」をするときのそもそもの根拠となっていた「ゆとり教育」に根本的な問題がない以上、もはや「ゆとり世代」というレッテルには、意味がないとさえいえます。
理不尽な「世代批判」がコミュニケーション不良を生む

●「ゆとり批判」はますます壁を高くするだけ
「ゆとり世代」自身は「ゆとり批判」の中にある理不尽さに気づいています。佐藤准教授と岡本准教授が開いた座談会の参加者たちも、受け止め方の違いはあるものの、「自分ではどうしようもないことを指摘されている」と感じているのは同じです。
このような状況があるにもかかわらず「ゆとり批判」を続ければ、「ゆとり世代」との壁は今以上に高くなっていきます。誰だって理不尽な批判を受ければ、その相手とコミュニケーションをとりたいなどと思わなくなるでしょう。SNSやネットを通じて広い交友範囲を持つ人であればなおさらです。
●世代論の「不毛さ」を知ろう
世代に貼られるレッテルには「団塊世代」「新人類」や「シラケ世代」「マニュアル世代」などもあります。しかしどれだけ根拠があるように見えるレッテルでも、世代論には限界があります。
団塊世代の全てがバイタリティに溢れているわけでもなく、新人類の世代の全てが最新メディアに詳しいわけではありません。「ゆとり世代」でも同じです。
世代論は一定の集団をわかりやすく説明するというメリットと引き換えに、本来十把一からげにできないものを無理矢理にまとめてしまうというデメリットがあります。「ゆとり批判」をして満足している人たちは、一刻も早くこの世代論の不毛さに気づくべきでしょう。
「ゆとり批判」は組織を滅ぼす
「ゆとり世代」の中にも、もうすぐ組織の中堅クラスに上り詰める人たちが増えてくるはずです。そのような世代とコミュニケーションが確立できないようでは、組織の未来はありません。
「ゆとり世代」への認識を改めるとともに、もはや意味をなしていないこのレッテルを使うのをやめ、個人個人としっかり向き合う誠実さを持ちましょう。それこそが双方にとって気持ちよいコミュニケーションを実現するはずです。
参考文献『「ゆとり」批判はどうつくられたのか 世代論を解きほぐす』

[文]鈴木 直人 [編集]サムライト編集部