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「間違う力」が天職へと導いてくれる
今の仕事よりも、もっと自分に向いている仕事があるのではないか。なりゆきでここまで来たけれど、自分がもっとやりがいを感じられる仕事があるのではないか。
そんなふうにどこかにあるかもしれない「天職」を思い描きながら、「でも失敗したら怖いから、現状維持に努めよう」と諦めている人も多いのではないでしょうか。
しかしノンフィクション作家の高野秀行さんの著書『間違う力』(角川新書)を読むと、失敗や間違いを恐れて現状維持に努めていることがバカらしくなるほど、高野さんは潔く間違い、そしてチャンスをつかんでいることがわかります。
ここでは本書の内容を少しだけ紹介しながら、「天職」に出会うスキルとしての「間違う力」について解説します。
やらないよりは「やりすぎ」の方が圧倒的にマシ
高野さんは「どんなにアホでもデタラメでも今やっている者がやらない者よりえらいのだ」と書いています(『間違う力』p136)。
そして「やりすぎ」になるほどのめり込むことが、アイデンティティを生むとも書いています。
●アヘン中毒になってまでアヘン栽培のルポを書く
高野さんの著書に『アヘン王国潜入記』という本があります。これは高野さんが7年間の大学生活の後に、「逆出稼ぎ」と称してタイのチェンマイ大学で日本語講師として働いていた時の体験を記したもの。
といってもチェンマイ大学がアヘン漬けになっていたという話ではなく、何気なく家にあげた結果ストーカーと化したタイ人の押しかけ女房から逃げるために、ひょんなことから住み着くようになったアヘン工場に出入りしていた時の話です。
私にとって、これは大変なチャンスだった。というのは、私はチェンマイに住みながら、ゴールデントライアングルの中に住み込んでケシ栽培(=アヘン生産)を自分でやってみたいと熱望していたからだ。ケシ栽培を取材した人間はいるが、自分で作ってみたという人間は住民以外ではいない。引用:『間違う力』p124
こう考えた高野さんはアヘン工場に出入りするうちに、組織の重要人物に気に入られ、半年間に渡ってケシ栽培に従事することになります。
そのあいだアヘン中毒になってみたり、帰国後アヘンがないのをアルコールでごまかしてアルコール依存症の一歩手前になったりしながら、『アヘン王国潜入記』は完成したのです。
同書は売れこそしませんでしたが、知り合いのつてで翻訳版を出したところ、米「TIME」誌から絶賛されるなど、高い評価を受けています。
●革張りの本を作るために世界中の屠畜現場を取材
また高野さんは『間違う力』の中で友人のノンフィクション作家、内澤旬子さんを例に挙げ、彼女が旅先のモロッコで見つけた革張りの古書に魅了され、同じような本を作るために辿った「屠畜の取材→三匹の豚の飼育→自ら屠殺」という寄り道についても紹介しています。
内澤さんはこの経験を生かして『世界屠畜紀行』(解放出版社)、『飼い喰い 三匹の豚とわたし』(岩波書店)の二冊の本を出版しています。
高野さんも内澤さんも、ひょっとすると「やりすぎ」なのかもしれません。
アヘン栽培のルポを書くためにアヘン中毒になる必要はなかったもしれませんし、革張りの本を作るために屠畜の取材や豚の飼育にまで手を出す必要もなかったかもしれません。
しかしこうして興味のあることに「やりすぎ」に見えるほどのめり込んだからこそ、圧倒的な個性を持ったノンフィクション作品ができあがったことは間違いないでしょう。
●「やりすぎ」が天職につながる
「天職」の定義が「自分が自然と頑張れて、かつ結果が残せる仕事」なのだとすれば、天職とは「やりすぎ」に見えるほどのめり込める仕事といえます。
しかし始める前からやりすぎに見えるほどのめり込める仕事かどうかはわかりません。だからまずは「どんなにアホでもデタラメでも」やってみることです。
やってみた結果「やりすぎ」につながれば、それが天職を見つける大いなるヒントになるというわけです。
「他人がやらないこと」を徹底的に面白がる

何か意味があるのかと言われると困る。意味なんか特にない。ただ、そうやったら面白そうだというだけだ。引用:『間違う力』p28
高野さんは自身のモットーの一つとして「他人のやらないことは無意味でもやる」を掲げています。
「無意味ならやる意味なんてないじゃないか」と思うかもしれません。しかし高野さんのこれまでの経験を知ると、そうとも言い切れないのです。
●「幻の怪獣調査」でノンフィクション作家の道を切り拓く
高野さんのデビュー作は早稲田大学探検部名義で出した『幻の怪獣・ムベンベを追え』(PHP研究所)でした。
この本は早稲田大学探検部3年生のときに、高野さんがリーダーとなって実行したアフリカ・コンゴでの未知の怪獣「モケーレ・ムベンベ」の調査で記した手記的な作品です。
総勢10人の探検部員と現地の村の協力を得ながら、高野さんは体長5〜10mとも言われる怪獣調査を行ったのです。
高野さん自身は大真面目に「これは探検であり、社会的に意味のあることだ」と信じていたそうですが、世間からは「無意味なことを全力でやっている」と評価されてしまいます。
とはいえ、この作品が高野さんのノンフィクション作家への道を切り拓いたことには違いありません。誰もが無意味だと笑うようなことでも、徹底的に面白がって実行したからこそ、高野さんは他者との差別化に成功したのです。
●「ラジカル佐藤」の圧倒的な過激さと無意味さ
高野さんの「他人がやらないこと」をたとえ無意味でも、徹底的に面白がるというスタンスは、探検部時代の先輩たちから学んだものだそうです。
その中に何をするにも過激な原理主義者だったゆえに「ラジカル佐藤」というあだ名を持っていた先輩がいました。
彼は危険さゆえに誰もやらない水中洞窟無酸素潜水を平然とやってのけ、前人未到の水中洞窟無酸素潜水13mの日本記録を打ち立てた人物です。
しかし水中洞窟無酸素潜水はあまりにも危険で、全く誰もやろうとしないため、洞窟に入るスポーツであるケイビングの世界でも価値が認められず、社会的には全くの無意味なままに終わってしまいます。
このあまりの過激さと無意味さに高野さんは戦慄を覚え、大きな影響を受けたのだと言います。
●「無意味だ」と言うことの無意味さを知る
当然無意味なことが、本当に最後まで無意味に終わることもあります。しかし面白がってやっている限り、その行為自体を楽しめるわけですし、何よりその行為が無意味かどうかは後になってみないとわかりません。
実際高野さんが実行に移した「ムベンベ調査」は、高野さんの将来にダイレクトにつながったのです。
確かにこれは結果論にすぎません。しかしだからといって他人と同じようなことばかりやって、何も行動に移さなければ、せいぜい現状維持止まり。
「もっと自分に向いている仕事」「もっとやりがいを感じられる仕事」と出会うことはできません。つまり一番無意味なのは、「無意味だ」と言って何もしないことなのです。
「間違い」が個性と仕事を作る
『間違う力』にはここで紹介したような、高野さんやその周囲の人たちの「間違いエピソード」がたくさん紹介されています。
それらの間違いエピソードは時に本当に何の役にも立たずに終わることもありますが、逆に他者との強力な差別化に成功し、仕事や人生のターニングポイントになることもあります。
そうして間違いを犯したり、無意味なことに熱中して遠回りをしたり、あちこちに寄り道をしたからこそ、高野さんだけのユニークな仕事ができるようになったと言えるでしょう。
間違うこと、遠回りをすること。これらは得てして敬遠されがちです。しかしそれでは人との違いも生まれず、現状維持に甘んじることしかできません。
それでは天職=「自分が自然と頑張れて、かつ結果が残せる仕事」に出会うこともできません。
本当に天職と出会いたいのであれば、まずあえて間違ってみることです。『間違う力』にはここで紹介したもの以外にも、たくさんの「間違う方法」が高野さんの抱腹絶倒エピソードとともに紹介されています。
天職に出会うための「間違う力」に興味のある人、あるいは人生をもっと豊かにしたいと思う人は、ぜひ一読してみてください。
参考文献『間違う力』
