才能の意味とは何か? 間違った常識と才能の正体を簡単に解説

成長をストップさせる「才能」の常識

「あの人は才能があるから成功した」「自分には才能がないからやっても意味がない」これらは誰しもが一度は考えたり、口にしたことのある言い訳ではないでしょうか。

多くの人は才能があれば全てがうまくいき、うまくいかないのは才能がないせいだと考えており、世間ではこれがあたかも常識のように認識されています。

しかし実はこれは大きな間違いです。そしてこの間違った常識のせいで、多くの人が自分自身の成長をストップさせてしまっているのです。

ここではビリギャルの著者で塾講師でもあり、起業家でもある坪田信貴さんの新著『才能の正体』をもとに、成長の邪魔をする「才能」についての4つの間違った常識を紹介。

それらが間違っている理由と正しい認識について解説します。

結果は才能の有無で決まる?

才能についての間違った常識の筆頭格が「結果は才能の有無で決まる」です。坪田さんによれば結果が才能によって決まっているのではありません。才能が結果によって決まっているのです。

それがどんな人であっても、結果が出たら「元がいい」「地アタマがいい」と言われ、結果が出なければ「もともと才能がない」、と言われるのです。(中略)人は結果しか見てくれない、結果からしか判断しない、ということなのです。
引用:『才能の正体』p33

つまり人は「才能」と呼ばれる何かを事前に認識しているわけではないにもかかわらず、結果が出てから「才能があったからうまくいった。その片鱗があった」などと追認しているだけだということです。

これは心理学の「あと知恵バイアス」という理論からも説明がつきます。この理論によれば、人は結果を知ってから、自分の記憶を改ざんする性質があることがわかっているのです。

ある実験で被験者は小説家アガサ・クリスティが生涯書いた長編小説の冊数を尋ねられます。この段階の回答は平均して51冊でした。

しかししばらくしてから被験者に正解が66冊であることを伝えたあと、「前回あなたは何冊だと推定したか?」と尋ねると、なんとその回答は平均63冊に増加していました。

これと同じ現象が結果と才能の関係においても起きているのです。

才能がなければ努力しても意味がない?

「才能がなければ努力しても意味がない」も半ば常識のように語られる考え方ですが、これも大きな間違いです。なぜなら結果至上主義にとらわれて立ち止まってしまっているからです。

というのも、前述したようにいわゆる「才能」は結果から遡って作られるものです。したがって「才能がなければ努力しても意味がない」とは「結果が出なければ努力しても意味がない」「できそうにないなら、やっても意味がない」と言っているのと同じです。これは結果至上主義以外の何物でもありません。

しかしいわゆる「才能」がある人、つまり結果を出せる人というのは、結果にとらわれることなく、瞬間ごとの変化・過程を楽しんでいます。彼らにとって結果が瞬間ごとの変化・過程の延長線上にあるものなのです。

つまり結果を出せる人とは結果ではなく、経過を大切にするのです。坪田さんは著書の中でマラソンや受験で結果を出す人の例を挙げていますが、これは武道でも同じです。

著述家でもあり、合気道4段の腕前を持つジョージ・レナードさんは、武道やスポーツの達人の成長過程の観察をもとに著した『達人のサイエンス 真の自己成長のために』の中で、次のように書いています。

達人といわれる人は(中略)まず何よりも練習(プラクティス)が好きなのであって、その結果、上達はあとからついて来るのだ。
引用:前掲書p82

受験や仕事、筋力トレーニングやダイエット、どのような分野でもプラクティス(練習、実践)を継続できなければ成長することもありません。そしてその成長が結果へとつながっていきます。したがって本当に成長したいのであれば、結果から遡るのではなく、経過を第一に考えて、まず練習や実践を始めることが必要なのです。

努力ができるのも才能のうち?

「結果を出す人は努力を楽しんでいる」と言うと、「そうやって努力ができるのも才能のうちなのではないか」と考える人もいるかもしれません。実際、才能や努力の議論のなかでこの言葉が飛び出すと、「そうだよな」と納得してしまう人も多いのではないでしょうか。

しかしやはりこれも間違いです。なぜなら努力はその人に合った動機付けができていれば、誰でもできることだからです。この動機付けは心理学的に以下の3つの要素で構成されています。

しかしスタートの段階でこの3つが充実していたとしても、正しい努力ができていなければ情動が損なわれ、欲求にも悪影響を及ぼします。正しい努力とは、すなわち瞬間ごとの変化・過程につながる努力です。

この努力を実現するものこそが、坪田さんが才能の正体だとしている「洞察力」です。洞察力とは物事を深く鋭く観察し、そこから物事の本質や深層を見出す能力を指します。

坪田さんは著書の中で、能力を伸ばして結果=才能の獲得へとつなげる方法として以下のようなものを紹介しています。

・頭のいい人(できる人)の行動を完コピする。
・他人の成功体験をあてにせず、試行錯誤の中で自分に合う方法を探す。
・機械的に覚えるという「技」の練習だけでなく、物事のコツである「術」も会得する。

これらは全て物事を観察し、そこから本質や深層を見出すことができなければ実践できないことです。

しかしここで「自分にはそんな洞察力がないから、やっても意味がない」と考えてしまっては元の木阿弥。

最初から洞察力を発揮する必要などありません。上記のような洞察力を必要とする練習と実践を積み重ねることで、洞察力を伸ばしていけばいいのです。

才能があれば瞬く間に結果が出る?

「天才は大した努力もせずに結果が出る」「才能があれば短期間で上達する」こうした才能についてのイメージも根強いのではないでしょうか。しかしこれらも実態とは違う、間違った認識です。

なぜならどんな人でも伸び悩む時期はやってくるからです。これは心理学的にプラトー(高原)現象と呼ばれ、一般的には「スランプに入った」とか「壁にぶつかった」と言われます。

実際坪田さんが指導してきた受験生でも、偏差値の低かった人がめきめきと学力をあげていくと、偏差値60ぐらいのところで突然伸び悩むことが多いのだそうです。これは本人にとっては非常に辛い状態です。

「もうこれ以上は伸びないんじゃないか」
「本当にこのやり方で合っているんだろうか」
「今のうちにやり方を変えたほうがいいんじゃないか」
「いっそ諦めてしまおうか」

そんな思いがよぎり、くじけそうになります。しかし次のステップに進むためには、このプラトー現象を乗り越えなければなりません。

逆に言えば、才能があると言われる人たちは皆この辛い時期を乗り越えているのです。

またずば抜けて結果を出している人たちは、得てして他の人たちを圧倒する練習を積んでいることもわかっています。

1996年の『British Journal of Psychology』に掲載されたある研究グループは、257人の若者を対象に「生まれつきの才能」があるかどうかを調査しました。しかしその結論は「生まれつきの才能はない」というものでした。

というのも257人の中には国内トップレベルの音楽学校に進む「天才」もいれば、途中で楽器を演奏することすら辞めてしまった「凡人」もいましたが、どの若者に関してもある一点を除いては大きな違いはありませんでした。

その一点とは練習量です。トップ集団が12歳の時点で1日12時間の練習をこなしているのに対し、一般レベルの集団は1日15分しか練習していなかったのです。

つまり「才能がある」とか「天才」と呼ばれる人たちは、才能があるから短期間に上達するのではなく、同じ期間に他を圧倒する努力をしているから短期間に上達しているように見えるだけだということです。

才能を「獲得」しよう

才能の有無は結果から逆算された後付けの評価にすぎません。そして自分に合った動機付けと正しい努力、そしてその努力の積み重ねがあれば、結果は自ずとついてきます。このように考えると、いわば才能は「獲得」できると言えます。

間違った常識にとらわれてしまうと、獲得できるはずの才能の芽を自ら潰し、必要もないのに自分の夢や目標を諦めてしまいかねません。しかし才能についての正しい認識を持てば、それが非常にもったいない行為だということがわかるはずです。

才能を言い訳に何かを諦めてしまっている人は、いますぐその間違った常識を捨て、自分の中にある才能の芽を育てることに力を注ぎましょう。

参考文献
『才能の正体』
『達人のサイエンス 真の自己成長のために』
『究極の鍛錬 天才はこうしてつくられる』

Career Supli
『才能の正体』はすごくいい本なのでぜひ読んでみてください!
[文]鈴木 直人 [編集]サムライト編集部