SNS時代に必要なマインドは福澤諭吉に学べ!『学問のすゝめ』が教えてくれる4つの心得

SNSに振り回されないためのマインドとは?

FacebookやTwitterなどのSNSでは、毎分毎秒膨大な情報が流れており、なかには怒りを覚えたり、悲しくなったりする情報もあります。そういった情報が日常生活や仕事に流れ込んでくる日々に、疲れてしまったという人も多いかもしれません。

歴史上日本には、同じように「接する情報量が以前と比べて圧倒的に増えた」という状況が何度かありました。そのうちのひとつが、明治維新のあと。西洋の文化が流れ込んできた時期です。

明治維新から4年後、大半の日本人が爆発的に増える情報量に戸惑っていた頃に出版された本が、1万円札で有名な福沢諭吉の『学問のすゝめ』です(1872年初版)。いわば本書は、今のSNS時代と同じく、情報爆発に翻弄されている時代に書かれた古典なのです。

そのため実は『学問のすゝめ』は、読み方次第で「SNS時代を生きるためのマニュアル本」として読むことができます。以下では本書のなかから、SNS時代をストレスフリーに生きるための大切な心得を4つ紹介したいと思います。

惑わされたくなければ「学問」をしよう

SNSには正確な一次情報が、マスメディアよりも早く流れることがあります。しかし一方で、トランプ大統領が2016年の大統領選に勝利した際にも話題になったようなフェイクニュースが、まるで真実かのように語られるのはSNSが抱える問題の一つです。

実際SNSで触れた情報に惑わされ、何が真実で何が嘘なのかがわからなくなっている人もいるのではないでしょうか。福沢諭吉も、『学問のすゝめ』のなかで以下のように語っています。

世事転遷の大勢を察すれば、天下の人心この勢いに乗ぜられて、信ずるものは信に過ぎ、疑うものは疑いに過ぎ、信疑ともにその止まるところの適度を失するものあるは明らかに見るべし。
引用:『学問のすゝめ』十五編より

世間を見ていると世の中の流れに乗せられて、何もかもを鵜呑みにして信じすぎる人と、逆に何もかもを疑って何も信じられない人に分かれており、明らかに信じることと疑うことのバランスを失っている……というわけです。

ではどうすればバランスをとり、世の中の流れに乗せられずに済むのでしょうか。福沢諭吉は同じ十五編の中で、答えを提示してくれています。

すなわち「信じることと疑うことのバランスを失うと真実を見失ってしまう。真実を見極めるためには、たくさん本を読んで、たくさんの物事に接し、先入観を持たずに分析して、真実を追求する必要がある」というわけです。

「学問」と聞くと、つい学生のためのもののように思いがちですが、SNSに溢れる情報の真偽を確かめるためには、何歳になっても学問は必要なのです。

顔を知らない相手とのやりとりほど注意して

匿名SNSを筆頭に、SNSでのコミュニケーションは会ったことのない相手と行われるケースが少なくありません。確かに匿名だからこそできるコミュニケーションもありますが、逆に匿名だからこそ発言内容や言葉遣いに注意しなければなりません。

このことについて、福沢諭吉が言及したのは以下の部分です。

また人間の交際において、相手の人を見ずしてそのなしたる事を見るか、もしくはその人の言を遠方より伝え聞きて、少しくわが意に叶わざるものあれば、必ず同情相憐むの心をば生ぜずして、かえってこれを忌み嫌うの念を起こし、これを悪(にく)んでその実に過ぐること多し。
引用:同上 十三編より

相手の顔を知らなかったり、「〇〇さんがこう言っていたらしい」といったまた聞きの情報であったりする場合ほど、少し自分と意見が違うだけにもかかわらず、人はつい批判的になったり、辛辣な物言いをしてしまったりするものだ、というわけです。

少し厳しい言い方をすれば、人は自分の身や人間関係にトラブルが起きなければ、調子に乗って他人の批判や悪口を言ってしまうものだと福沢諭吉は説いているのです。

こうした悪癖を治したいと思うのであれば、誰かに物申す前に「同じ言葉を、会社の同僚や上司に言えるのか?」と考えてみることです。そうすれば伝え方を見直すでしょうし、そもそも物申す必要があるのかについても考え直す冷静さを取り戻すこともできるはずです。

「炎上」「叩き」に便乗したくなったら、自分の中の「嫉妬」を顧みる

SNSのタイムラインやコメント欄を見ていると、いわゆる「炎上」や「叩き」が頻繁に行われています。これらを見て溜飲が下がった人や、つい参加してしまって後味の悪い思いをしたことがある人もいるかもしれません。

SNSで自分の「正義」を振りかざしたり、きつい言葉を使ったりしたくなる原因は、前述した匿名性にもあります。しかし『学問のすゝめ』では、人間に元来備わっている欠点こそが根本的な原因だと指摘されています。

ひとり働きの素質においてまったく不徳の一方に偏し、場所にも方向にもかかわらずして不善の不善なる者は怨望の一ヵ条なり。怨望は働きの陰なるものにて、進んで取ることなく、他の有様によりて我に不平をいだき、我を顧みずして他人に多を求め、その不平を満足せしむるの術は、我を益するにあらずして他人を損ずるにあり。
引用:同上 十三編より

怨望とは、言い換えれば嫉妬のことです。福沢諭吉は、嫉妬は進んで何かをするわけでもなく、自分と誰かを比べて不平を抱き、反省もせずに他人に多くを求める感情であると指摘しています。

そのうえで、嫉妬する人はその不平を解消するために、自分がより良くなる方法ではなく、他人に害を与える方法を選ぶものだ、と言います。なかなかに辛辣な意見ですが、SNSを見ていると納得するところが多いのではないでしょうか。

嫉妬の感情から誰かをこきおろしたりする行為は、誰もが情けないと思うはず。しかし実際に「炎上」「叩き」に便乗しているとき、人は自分こそが正義であり、嫉妬からそうした行為をしているわけではないと考えているものです。

したがって、自分の嫉妬に気づくためには、改めて自分の心を顧みる癖をつける必要があります。「人は誰かに嫉妬しているときに、その相手を攻撃したくなる生き物なのだ」という前提のもとで、慎重に自問自答するのです。

そうすれば、むやみやたらに誰かを攻撃したり、「炎上」「叩き」に便乗したりせずに済むでしょう。

「人たる者の分限」を守るべし

SNSがなければ、私たちが日々接する「誰かの意見」の量は、何十分の一にもなるでしょう。それくらい、SNSには「誰かの意見」が溢れかえっています。

問題意識が高い人や、ロジカルな思考力が高い人ほど、SNSに溢れる意見に触れると「自分も何か言ってやりたい」という気持ちになるものです。その気持ちはときに「この人のため」という親切心から沸き起こることもあります。

しかしSNSでのそうした親切心は、たいていの場合「大きなお世話」と捉えられることがほとんどです。せっかく相手のためを思ってコメントをしたのに邪険な返信が来て、ムッとしたことがある人もいるかもしれません。

あるいは「コメントしてあげたいけど、大きなお世話かな。どうしようかな……」と思い悩んだことがある人もいるのではないでしょうか。

逆に自分が「大きなお世話」をされて、どう反応していいのか困った経験がある人もいるでしょう。

そんなときに思い出してほしい『学問のすゝめ』の文章がこちらです。

人たる者の分限を誤らずして世を渡るときは、人に咎めらるることもなく、天に罪せらるることもなかるべし。これを人間の権義と言うなり。
引用:同上 八編より

現代語では「人間であることの分を間違えずに世の中を渡っていれば、誰かに文句を言われることもなく、天に罰せられることもない。これが人間の権利である」といった具合です。

この『学問のすゝめ』八編の別のところでは、「人間であることの分」とは何かが語られています。それはすなわち、以下の5つにおいて自分自身が自由であるとともに、他人の自由も尊重することです。

1.身体
2.知恵
3.欲
4.良心
5.意思

これを自分のなかでルール化しておけば、「大きなお世話」をして迷惑がられることはなくなりますし、逆の立場になった時も自信をもって「大きなお世話です」と言って、自分の自由を守ることもできます。

SNS時代をストレスフリーで歩いていこう

SNSは付き合い方を間違えると、大量に流れ込む情報に振り回されて、あっという間にストレスフルなツールになってしまいます。

しかし同時にSNSは、今まで決してつながれなかったような人ともつながることができるツールです。活用しないのは、あまりにももったいないでしょう。

『学問のすゝめ』で触れられているようなマインドを身につければ、こうしたSNSのメリットをストレスフリーに享受できるようになります。ストレスを抱えながら、「役に立つはずだ」と言い聞かせてSNSを使う必要はもうなくなるのです。

SNSと必要以上に距離を取るのではなく、正しいマインドをもつことで正しい距離感を身につけ、SNS時代を120%楽しみましょう。

Career Supli
福澤諭吉はいまの時代にフィットします。ぜひ読んでみてください。
[文]鈴木 直人 [編集]サムライト編集部