あと10年でお金はなくなる!?地域通貨を持ってたらモテる時代が来る!

お財布が要らなくなるのはいつだろう

「お金」が手元にある紙幣だけじゃないと言ったらどうしますか?もちろんドルだってユーロだって紙幣なのですが、「お金」の形が徐々に変わってきていることに注目しています。以下では「仮想通貨」と呼ばれるBitcoinや、東京都国分寺市の地域通貨の試みなどを取り上げながら、「お金の今とこれから」を考えていきます。

「Bitcoin」———「貨幣」を消し去る暗号通貨

使う人々がそれに価値を認めるならば、国が生み出したものであろうがネットから生まれたものであろうが、麻雀の点棒であろうが「通貨たり得る」可能性はあるのだ。
西田宗千佳氏(『暗号が通貨になる「ビットコイン」のからくり』著者)

出典:http://www.huffingtonpost.jp/munechika-nishida/bitcoin_b_5354980.html

2009年、中本哲史(なかもとさとし)なる正体不明の人物がとある暗号通貨に関する論文をネット上に発表しました。この論文を基にして開発されたのがBitcoinです。この暗号通貨は商品やサービス、他の通貨との交換が可能な「お金」の機能全般を備えていました。一時期は大変なブームを巻き起こしたこの通貨ですが、現在その熱は治まっているものの、NTTドコモやリクルート、GMOインターネットがBitcoin事業に参入するなど動きが全く消えたというわけではありません。

Bitcoinのようないわゆる「暗号通貨」はこれまでもいくつか存在してきました。しかしBitcoinが特殊なのは、この通貨に管理者が不在であるという点です。日本円であれば日本政府が、米ドルであればアメリカ政府が管理しているのが通貨です。リンデンドルという暗号通貨はセカンドライフ社の経営母体リンデンラボ社が運営しています。しかしBitcoinにはそのような管理者がいません。

本来通貨とはその通貨の価値を担保する国や企業があってこそ価値を持つもの。一連のBitcoin騒動はそのような「貨幣」の前提を根底から覆す出来事だったのです。確かに「Bitcoinは終わった」というセリフはある意味では的を射ているかもしれません。しかし、同時に「貨幣の終わり」をもBitcoinは示唆しているのかもしれません。

「ぶんじ」———国分寺市の地域通貨の試み

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画像出典:http://bunji.me/index.html

東京都国分寺市では「ぶんじ」という単位で地域通貨を運営しています。まだ2012年から運用され始めたばかりの通貨で、Bitcoinのように世界を席巻しているわけではありませんが、少しずつ地域に根付き始めている状況です。このぶんじは、「円」とは全く違う価値でやりとりが行われます。そのため、暗号通貨のように既存の通貨との交換はできません。ではこの地域通貨は、いったい何を「価値」として考えるのでしょうか?

「円」が何かを手に入れるための手段であるとしたら、地域通貨「ぶんじ(仮)」は「ありがとう」を表現するための手段。
国分寺地域通貨 ぶんじ公式HPより

出典:http://bunji.me/manifesto.html

ぶんじがやりとりされるということは、「ありがとう」という気持ちがやりとりされるということ。国分寺市内の加盟店ではこのぶんじで実際に食事ができたり、サービスが受けられたりします。「ありがとう」が通貨としてモノ・サービスを循環させ、「誰かのため」「まちのため」の仕事が溢れていく。そんな構想を持って、ぶんじは運営されています。

「儲かる・儲からない」に汲々とする毎日を送っているビジネスパーソンからすればともすると夢見がちに見えるぶんじという通貨。しかしこのようなお金のあり方はもはや国分寺市にとどまりません。

「イイね!」———シェアリングエコノミーの時代

[blockquote]おそらく10年後か20年後、その「ワクワク」のところにお金が極端に集まる時代が来ると思ってるんですよね。
クラウドワークスCEO 吉田浩一郎氏[/blockquote]
出典:http://logmi.jp/79930

FacebookなどのSNSの普及により「イイね!」や「シェア」は今やある種の共通言語になりつつあります。例えば「イイね!」ボタンを押す時に私たちはそこに「ワクワク」や「ドキドキ」「なるほど」といった感情を乗せるはずです。

その私たちの感情を見た友人が同じ感情を抱いてまた「イイね!」を押す。そうして1つの情報はどんどんシェアされていくわけです。その情報が商品であったり、サービスであったりすれば「イイね!」という共感を媒体として広告効果が得られます。あるいは情報自体が価値を持てば、それはそのまま経済になる。これを吉田氏は「シェアリングエコノミー」と呼びます。

こういった考え方は、ほとんど前掲の「ぶんじ」と同じです。「損か・得か」という二択ではなく、「共感できるか・できないか」という二択で経済が回っていく。お金に対する価値観は、今大きく変わりつつあるのです。

「クラウドファンディング」———「応援」が切り拓く未来

ユーザーといっしょに夢のクルマをつくるというチャレンジができたら最高なんじゃないかと思い、クラウドファンディングという方法を取り入れた。 鈴木おさむ氏

出典:http://www.huffingtonpost.jp/yusuke-iguchi/owamu-suzuki-crowdfunding_b_6953078.html

クラウドファンディングとは、インターネットを通じて不特定多数から支援を受け、資金を調達する方法の一つです。これまでの資金調達方法では難しかったような小さな規模のビジネスや、非常にローカルなイベントの開催などの資金もこの方法を使えば、実現する可能性が高まります。

例えば「地方×クラウドファンディング」を掲げているFAAVOというプラットフォームでは、「横浜の歴史と魅力が詰まった写真集を出版しよう!」というプロジェクトや「1人親家庭の子どもたちが安心して学習できる場所を高槻に創る!」といったプロジェクトが立ち上げられ、実際に必要な資金以上のお金を集めることができています。

後者のプロジェクトについて言えば出資しても金銭的なリターンはありません。「子どもたちからのサンクスレター」「1人親家庭の子どもの声が詰まった冊子『なまごえ』」といった、どちらかといえば「ぶんじ」で見たような「ありがとう」がリターンとして設定されています。

「応援=出資」する人たちが共感したことによって、「夢=ビジネス」が実現するプラットフォーム。それがクラウドファンディングなのです。

「信頼」がお金に取って代わるとき

handing over keys of new car buyer

信頼を代替するものがあれば、お金を介さない直接交換も可能になる
チームラボ 猪子直之氏

出典:「WIRED VOL.16」

チームラボの猪子直之氏はこれからの経済は、「世界レベルで市場を支配するグローバルクオリティ」と「スーパーローカルなコミュニティー」に大きく分かれると考えているのだそうです。前者は圧倒的な資本を使って世界市場に通用するモノやサービスを作り出す大企業などが作り出す経済で、これからも従来型のお金のあり方が継続される市場です。

対して後者は「友人たちだけの手で作る結婚式」や「○○さんが作ったネックレス」「□□村の××さんの家のダイコン」といった具合に、クオリティやコストパフォーマンスといった数字で測れない価値を重んじる経済です。

「友人」「○○さん」「××さん」という顔の見える相手が作り出したモノ・サービスだからこそ価値がある。これは「機能的」「効率的」といったこれまでの価値観とは全く違う尺度です。その尺度こそが「信頼」であり、これを代替できるのであればお金の交換がなくても、「ありがとう」や「イイね!」でもよくなるというわけ。信頼がお金に取って代わる、そんな経済のあり方が私たちの目の前に顕在化してきているのです。

「お金」についてもう一度じっくり考えよう

お金は欲しい。お金は怖い。お金はない。お金は大事だ……。それしかお金について考えてこなかったということは、いつまでたっても、お金がわからないまま、お金に振り回されて生きるってことになりかねない。
糸井重里氏

出典:『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』

もちろんグローバル市場で戦っていくには、「グローバルクオリティ」のお金のあり方、つまりこれまで通りのお金への考え方も大切です。しかし同時にスーパーローカルなコミュニティーでは違う経済が生まれてきていて、いままでのお金のあり方とは、ちょっと変わってきています。

本当に「お金はあるほどいい」のか?本当に「節約こそ善で、贅沢は悪」なのか?これまでのお金についての常識を鵜呑みにせず、もう一度一からお金について考える時が来ているのではないでしょうか?

[文・編集] サムライト編集部