日本で唯一のオレゴン・ワイン専門店をつくってみたvol.3 オープンの日

酒とギャンブルに溺れた無気力な生活からようやく抜け出し、自分のお店を出すという目標に向かって動き始めた時、大学時代の親友と再会。彼女の助けを借りながら出店に向けて急ピッチで動き出した。(vol.2 堕落の日々と救いの手 を読む)

自分自身とのブレスト

充実した日々が始まった。バイトに明け暮れ、休みの日は、朝から晩まで出店計画を作る時間にあてた。しかし、本当に悩むことが多かった。そんな時、みのりから『自分の掘り出し』作業をした方がいいという提案を受けた。

「今のあんたがしたいこと、大切に思ってることを自分で見つけてよ。ケイジがこれからすることは、あなた自身を表現すること。その為に、何が大切なものなのかを、しっかり見つめて。それが出来なきゃ、なんの意味もないし、また今までと同じことを繰り返すだけ。途中でやりたいことが変わっても関係ない。今、ケイジが自分の心にちゃんと耳を傾けて、自分の原点と向き合うことが重要よ」。

どんだけ上から目線やねん、と思いながらもありがたかった。本当に今も、そう思う。お店のコンセプトづくりがここから始まった。

僕の中には、もう明確なコンセプトがあるつもりだったが、ボンヤリと頭の中に描いているものを、具体的なものに落としこんでいく作業はとても大変だった。人生で初めての『自分自身とのブレスト作業』。過去の自分から、今の自分、そして、未来の自分…それを創造する。

そして見えてきたものを、みのりに伝えてブラッシュアップしていく。相手に敬意をはらいながらも、自分の思いを伝えて、本気でぶつかり議論した。そうやって、少しづつ僕の原点が、お店の原点が形成されていった。

出店計画

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出店計画をつくる中で決めなくてはいけないことは膨大にある。数々のモノの中から、優劣をつけ、ひとつひとつ選んで、それをお店のコンセプトへと落とし込んでいく。

1、なんの為に、お店を出すのか?
2、誰に何を提供するのか?
3、どこで出すべきか?
4、それは、どんなお店?

そんなアプローチの中でも、特に悩んだのが、色の選定だ。色は、ある程度、学習によって勉強できる部分もあるが、先天的な感性に頼るところが大きいように思う。

色が持つ、“ぬくもり”を、コンセプトと共に、暖色を好む飲食の現場に落とし込んでいく。器の色。お店の床・壁・テーブルの色。椅子の色。etc…そうして、少しずつ僕が思い描く、お店が持っているであろう雰囲気を固めていった。このコンセプトをベースに、誰をターゲットにして、どんな場所でお店を出すかというマーケティングもすすめた。

物件も悩みに悩んだ。街々の不動産屋を調べて内見に行った。新宿、渋谷の街は歩きつくしたと思うし、出店までに内見した数は100を超えた。でも、この物件探しこそ、悩んでもしょうがないこと、ご縁なのである。

“飲食”という場にふさわしい物件でなければいけないし、様々な条件もある。こっちが“いい”と思って交渉を始めても、先方が、こちらのやりたい飲食形態を好まない場合も多々あった。

また、色と共に、建物がもつ空気感もある。人、物、土地、万物すべて必ず、“気”というか何か宿っているモノがあると思う。温かい土地もあれば、冷たい土地もある。乾いた土地もあれば、湿った土地もある。総称していうなら、『風水』的なものなのかな。

経営的、数字の面だけではなく、そういうところまで考えた。だって、僕はこのお店を約20年続けなきゃ意味がない。妥協なんて出来ない。そして、渋谷・神泉という街で、ここだ!と確信を持てる物件と出会うことができた。

お店のコンセプトと出店資金

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自分の原点と向き合い考えぬいて出てきたコンセプト、その根幹は、「家族」だった。妹・長女の子供たち。可愛いい姪っ子、産まれて間もない甥っ子。成長したこいつらに、いつでも温かみのある料理を提供できるようなお店。

愛情のある料理と、一日の疲れを癒すお酒。
日々の余白を愉しむ、都会の地元にある食堂。

コンセプトが決り、次のステップ。それは、出店資金。アルバイト経験しかない自分に、誰が飲食店の開業資金を出してくれるだろう。

アルバイトで稼いだ頭金程度の金額があっても、そうそう資金を工面してくれる金融機関などないと思っていた。だから、親族に相談した。母、そして父に金の相談をした。

慎重に日時を選び、父に電話した。携帯の通話ボタンを押した。電話から聞こえる呼び出し音…ベストのタイミングを選んだはずなのに、いっきに胃が締めつけられ、鼓動が早くなる。

父:「はい。もしもし」
僕:「圭史です」
父:「おう、どうした」

必死に言葉を選んだ。言葉を選べば選ぶほど… 頭が完全に真っ白になっていった。脈略もクソもない言葉が唐突に口から出てしまった。

僕:「お金をかしてもらえないでしょうか?」

電話ごしの沈黙。

父:「なんに使う」
僕:「自分のお店、飲食店を出したくて」

結果は二つ返事で快諾してくれた。条件は2つだけ。

1. 企画書・開店計画・経営計画が明確になったら、再度連絡しろ。
2. 返済計画を作れ。1円でもいいから、必ず毎月ちゃんと返すこと。

お店のスタッフ探し

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何とか出店資金の目処がついたら次は一緒にお店では働いてくれる人探しだ。当時のバイト先の人たちの好意で一緒に働けるスタッフは見つけることができたが、バイトさんだけでは不安。まともにシフトを組むこともができないかもしれなかった…

そこで僕は思い立ち、次女の千秋に一緒に働かないかと打診。彼女が過去に、飲食店でバイトをしていたのを知っていたからだ、でも半分は、助けを求めていた(笑)ダメ元だったが千秋の返答は意外なものだった。

「悪くないかもね。お兄ちゃんが本気なら、手伝うぐらいならできるよ」

彼女は、その後、やっていた介護の派遣の仕事と兼ね合いをつけながら、飲食店でバイトを始めてくれていた。この事を知った時には、陰で本当に泣いた。資金面でサポートしてくれた両親もそうだが、僕の中で、一度は完全に切れたと思っていた『家族という糸』はしっかりと僕を繋ぎとめてくれていた。

いよいよお店がオープン

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そして、オープンしたのが『そよかぜ食堂Keiji』だ。「家族」というコンセプト。そして、働く人たちに愛情のある料理と、一日の疲れを癒すお酒を提供する、都会の地元にある食堂。メニューは「定食」、「乾杯セット」、「その他のアラカルト」そして僕が素人なりに、選んだお酒たち。

オープン当日、多くの開店祝いの花が届き、多くの仲間が駆けつけてくれた。

最初の1ヶ月。素人が2年あまりの飲食経験で、しかもバイトしかしてなかった僕にしては上出来過ぎる滑り出しに、自分でもびっくりするほどだった。これは後で知ったけど、オープン繁盛…って言うらしい(笑)

念願の自分のお店を出せた。この大切な空間を絶対に手放したくない。お客さんの為にも、絶対に続けていく。そう強く決意したのだった。(vol.4最終回へ続く

ワイン・ビストロ『Soyokaze』
東京都渋谷区神泉町9-12 03-5456-0557
officialSite: http://www.sykz.jp/
※8/20(木)~8/30(日)は、オレゴン研修のためお休みです
[文]佐藤 圭史 [編集]サムライト編集部

日本で唯一のオレゴン・ワイン専門店をつくってみた vol.1 理想と現実

日本で唯一のオレゴン・ワイン専門店をつくってみたvol.2 堕落の日々と救いの手

日本で唯一のオレゴン・ワイン専門店をつくってみたvol.4 仲間とオレゴンへ(最終回)