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DeNA Palette Writer Night#3をレポート!
株式会社DeNAのキュレーションプラットフォーム拡大構想「DeNAパレット」。WEBメディアから雑誌になったことでも話題の「MERY」などを抱える、巨大なプラットフォームであるDeNAパレットが主催するイベント「DeNA Palette Writer Night#3」に足を運んできました。
今回の登壇者は、NYLON JAPAN編集長で雑誌版MERYの編集長も務めた戸川貴詞(とがわ・たかし)氏(写真中央)と元オウンドメディアの編集長で現在は編集プロダクションノオトの記者・編集者として活躍中の朽木誠一郎(くちき・せいいちろう)氏(写真左)。
経歴の差はあれど、編集・ライティングという仕事で活躍している2人。今回はそんな2人に編集者・ライターになった経緯や必要な素質、紙vsWebの違い、そして編集者・ライターのこれからについて語っていただきました。
雑誌とWeb―ジャンルの異なる2人の編集者が、この道を選んだきっかけ

モデレーターのDeNA石原さん(以下石原・写真右):お2人が編集者・ライターになったきっかけを教えてください。
戸川:いろいろなことをやってみたくて、大学生のときにたくさんの業種のバイトをしてみたんです。その中に雑誌の編集のバイトがありました。単純に「雑誌の編集者って、なんかモテそうだな」と思ったんです(笑)。今も発行されている自動車専門誌の編集のバイトを、2年半ほどやっていました。
そして就職活動のときに、どの職業に就こうかなと考えたんですけど、正直自分の中にそんなに「編集者になりたい!」というのもなくて。でも「あれはイヤだこれはイヤだ」と消去法で職業を選んでいったら、最終的に雑誌の編集が残りました。。
朽木:僕は編集者ではなく、ライターからキャリアをはじめました。といっても当時は、ライターと編集者の違いもよくわかっていなかったのですが。
もともと、ライターというものに漠然とした憧れがあって。いまでこそWebライターはたくさんいると言われますが、5年くらい前、未経験で地方の大学生だった私にとっては、Webライターになるのも難しい時代でした。
そんな中、偶然東京にある大手のメディアでたまたま書かせていただいて、やはりこの仕事は楽しいぞ、と。その後、上京してメディアの運営会社に就職。フリー期間を経て、現職の編集プロダクションに勤務しています。
「自分の中で理想とする文章があるかどうか」―編集者・ライターに必要な”美学”とは?

石原:お二人が編集者・ライターとして素質があると感じる人はどのような人なのでしょうか?
朽木:言葉が適切かわからないですが、「美学」の問題だと私は思います。特に文章の良し悪しって、客観的な指標はないじゃないですか。「こういう文章の方がいいよね」って思っていても、主観を完全に排除した基準はないと思うんです。
それでいて上がってきた文章に対して「こっちのほうがいい」と指摘しなければいけない。当然、指摘する側のレベルが高くなければいけないわけですが、それはとても難しいことだと思っています。
石原:その「美学」をもっと詳しく言うと、どういうことなのでしょう?
朽木:「自分の中に理想とする文章があるかどうか」だと思います。
例えば、雑誌が理想としてきた文章、文体があったとします。それにそぐわない文章、文体は当然、雑誌の文章としてクオリティが低いものになってしまいます。それはWebでも同様です。
「インタビューならこう、コラムならこう、雑誌ならこう、Webならこう」というように、その基準同士がぶつかってもいいのですが、その切り口ごとに自分が好きな、自分の中のものさしとしている文章があるかどうか。
そのいくつかある基準の中で「これがいい表現なんだ、これがおもしろいんだ」という自分なりの文章の型というのは持っていてほしいです。
石原:では書き手や編集が、自分の文章の型を周りに伝えるために言語化することはできるものでしょうか?
朽木:もちろん「おもしろい」という感覚を言語化しようとはしますが、やはり圧倒的なものはなかなか言語化できない。だから、編集者やライターを教育することは本当に難しいですし、育てることも育てる側のレベルが本当に高くないとできない、と痛感しています。
だから僕にできるのは、その原石を見つけること。「この人はこんなところがおもしろい、こんないいところがある」というように、素質を持った人を発掘するのが、編集者歴3年の僕にできる役割なのかなと。
なかなかテキストのいいところを言語化できないからこそ、ライターさん個人が持っているおもしろいところを見つけて、伸ばしていく。それが今の自分の仕事だと思っています。
石原:NYLON JAPANの編集長でもある戸川さんは、ライターさんを発掘するときにどのような軸で見られているのでしょうか?
戸川:軸というよりは、Webでも紙でも、おもしろいなと思う文章を書く人のことは常にチェックしていますし、連絡をするようにしていますね。
石原:雑誌版のMERYのライターさんはどうやって見つけてきたのですか?
戸川:MERYのスタッフに関しては、企画やテイストに合った人を選んで声をかけました。ちなみにこれはNYLON JAPANも同じなのですが、実はMERYの雑誌はライターと編集者が分かれていません。音楽ページのように専門性があるところはライターさんにお願いしていますが、基本的には編集とライティングの両方をしてもらっています。
石原:編集者とライターの両方できる人が強いのでしょうか?
戸川:両方できる方が仕事の幅は広がるのは間違いないです。ですが最低限、編集者もライターも、お互いの業務内容を理解しておく必要があると思います。
編集者はライティングを理解していなければなりませんし、ライターはディレクションや工程を知っておく必要があると思います。やはりチームでひとつのものを作り上げているという意識は、スタッフ全員が持っておく必要があると思います。
雑誌やWebはあくまで手段。大切なのは、その奥にある「コミュニティ」

石原:紙とWeb。メディアのこれまでとこれからを語る上で欠かせない要素だと思います。雑誌からWebへの移行が加速する中、MERYはWebのキュレーションメディアとして雑誌を発行するという非常に珍しいケースでした。そんなMERYという雑誌は、どのように作られたのでしょうか?
戸川:雑誌をつくることに関して言えば、最初はWeb版のMERYの2次転載的な発想だったんですよ。でもそれって、内容的にもビジネス的にもおもしろくない。作り手からすると実はそうした「Webから雑誌へ」みたいなところは、正直あまり意識していないんです。
なのでWebではできないようなコンテンツづくりをしていこうと。それでいてWebとリンクがきちんとできる。デジタルに整合する雑誌づくりを心がけてきました。
MERYというWebのキュレーションプラットフォームがまずあって、そのユーザーの体験をよりリッチにしていくというか。今回出版させていただいた「雑誌」という手法は、ユーザーにとってよりよい体験を提供していこうという提案のひとつでしかありません。
つまり、今回の雑誌にしてもWebにしても「MERY」というコミュニティを充実させるためのひとつのツールなんです。なので今後は、Webや雑誌だけではなく、イベントや動画などもできたらいいなぁと。いろんな手法で展開する「MERY」を楽しんでいただきたいです。
石原:とはいえMERYのような例は非常に珍しいですよね。今は雑誌が淘汰されて、Webへ移行しているメディアが増えています。なんとなく「紙vsWeb」みたいな構図ができているのかなとも感じるのですが。
戸川:社会構造上、雑誌が減っていくのは必然だと思います。しかしだからといって、雑誌がダメだとか劣っているという発想はあまりにも安直過ぎる。そもそもWebと雑誌ではコンテンツの切り口もユーザーにとっての価値も異なっています。
例えば、WEBのMERYはいわば「切り売り」なんです。その切り売りのものを、みんな朝の通勤時間や夜寝る前の時間とかを使って、今日明日のための情報として読んでいるんです。いつでもどこでもそういったピンポイントの情報を入手できるところが強みですよね。それに対して雑誌は、編集が加わることで1冊にまとまった「商品」なんです。
1冊をひとつの商品として捉えていくと、Webと同じものを扱っていても、お金を払っている分、全然違う体験になってくると思っています。もちろんWebでも有料のコンテンツはたくさんありますが、雑誌のように1冊の「商品」としてまとまっているわけではありません。
そう考えると雑誌は、値段以上の価値をいかにしてつけていくか。ここが大きな課題だと思っています。
石原:雑誌とWebではそもそもの切り口が異なるとは、Webと雑誌の特性が大きく異なるからなのですね。
戸川:つまり「雑誌が売れなくなった=コンテンツが読まれなくなった」というわけはないのです。なぜならWebのコンテンツは徐々に増えてきているにも関わらず、売れ行きが好調な雑誌は少なからずあるのだから。だとしたらシンプルに、読者が「買いたい」と思える雑誌を作ればいい。
この話は、全てのビジネスにおいて同じことが言えると、私は思います。斜陽産業であろうが、右肩上がりの成長産業であろうが、そのコンテンツや商品に価値があればユーザーに求められますし、価値がなければユーザーに必要とされないのです。
例えばMERYは1冊500円。カフェで友達と2時間お茶するより安く済むわけです。その1回を我慢してでも読みたいと思ってもらえるかどうか。これが非常に重要なんです。
石原:そう考えると、そもそも「紙 vs Web」という発想自体がふさわしくないのでしょうか?
戸川:そうですね。その論点で考えると、おそらく雑誌にしてもWebにしてもどちらもうまくいかないんじゃないかなと。その2つの特性って本当に違うものですし、それぞれにいいところや得意なところもあるので。
なのに、未だにWebのユーザーが増えて、雑誌を読む人が減っているからどうこうといった論争がありますよね。まずはそういう発想自体をやめないと、ユーザーに対して価値あるものを届ける、雑誌というビジネスはできないと思います。
なので僕は、これからもどんどんいい雑誌を出していこうと思います。みんな勝手に雑誌の世界から出て行くので(笑)。
朽木:たしかに、雑誌1冊の値段と、友達とカフェでお茶する値段が変わらないって、考えさせられますね。ユーザーがどの「体験」にお金を払うか、という発想ですよね。
戸川:その通りです。極端な言い方ですけど、買われない雑誌というのは、カフェで友達と2時間おしゃべりするよりも価値がないと思われているのだと思います。
編集兼ライティング兼イラスト兼etc……編集者・ライターはこれから、様々な顔を持つジェネラリストにならなければならないの?

石原:これからは編集者もライターもできる、紙でもWebでも書ける、いわゆるジェネラリスト的な人が求められているように感じますが、実際の現場ではどうなのでしょうか?
朽木:なんでもできるというのは、もはや前提なのだろうな、と思います。現場で求められているスキルは多いので。
例えばWebを中心に活動しているライターさんなら、文章が書けることはもちろん、いい写真も撮れたり、動画も撮れたり……ひとつの記事をいろんな要素から立体的に表現できます、っていう人はやっぱり強いと思いますし、仕事も振りやすいですよね。
でも、そうなると、できることを横にどんどん広げればいいのかという話になってきますが、広げすぎるのは正直しんどいと思います。
1番いいのは、一通りスキルを持ち合わせる、または求められるスキルについて把握していて、その上で何かひとつ飛び抜けていることだと思います。いわばジェネラリストとスペシャリストのハイブリッドなのかなと。
時代の変化に合わせて自分にできることを柔軟に広げつつも、自分の中の1番の武器を作っておく。そうすることで、他からの仕事も受けやすくなるでしょうし、自分の持ち味をしっかりと持った編集者・ライターになれるのではないでしょうか。
