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古今東西のリーダーを惹きつける名著
韓非子をご存知でしょうか。下剋上で世が乱れていた中国戦国時代の法家(厳格な方で国家を治めるべきと説く学派)の政治家・韓非が執筆した書物です。
古くは秦の始皇帝、幕末の西郷隆盛、現代ではライフネット生命の創業者の出口治明氏や銀座まるかんの創業者斎藤一人氏を始め多くのリーダーが韓非子を愛読しています。
韓非子の何が古今東西のリーダーを惹きつけるのでしょうか?
その答えは、時代を経ても変わらない人間の本質を知ることができるからです。
「韓非子」を読むことで人間の本質に迫る
中国の書物には、性善説を説く論語が有名です。こちらも指導者に広く愛読されています。一方の韓非子は「人は自分の利益のために動く」ことを立証する数々のエピソードがてんこもりの性悪説を説く本です。
韓非子には、妻が「自分の利益のために」夫を殺すエピソードすら登場します。そのエピソードは以下です。
男性の君主は何歳になっても若い女性を求めます。しかし、女性である正妻の容貌は30歳を過ぎると衰え始めており女性として求められることがなくなり、疎まれることすらあります。
さらに、自分の子供が君主の跡継ぎになれない場合には、自分の立場も危うくなる可能性があります。そんな状況を恐れて正妻は君主である夫を殺し、自分の子供を君主にすることで立場を確保。さらには好きな男を自分の元に置いたり自分の意のままにできるようになります。そこで夫の殺害を画策するようになります。
実際に、歴史上に妻が夫の食べる食事に毒を盛って殺すケースが散見されるのは「自分の利益のため」に起きたことなのです。
韓非子からは性善説の一面だけには収まらない人間の多面的な本質を学ぶことができます。そのため韓非子は多くの指導者に愛読されているのでしょう。
以下ではビジネスの現場でもタメになりそうな韓非子の人間の本質に対する鋭い洞察について見ていきます。
自分の好み、嫌悪の感情を表情に出さなければ部下は素を出す
「好みを去り憎しみを去らば、群臣素を見す(二柄編)」
韓非子では君主は自分の好き嫌いを表情に出さないようにするように説いています。好き嫌いが表情から簡単に読み取れるようだと、部下は君主に好かれる、ウケるための振る舞いをし始めます。君主が賢い部下が好きなら部下たちはこぞって賢い部下であることを装うのです。
しかし、これでは部下の本心、本性が見えなくなってしまいます。部下の人心掌握が難しくなってしまうのです。
君主は自分の好みや感情を顔に出さないようにして本心を見せないようにすることが重要です。そして、その上でどのように部下が動くのかを観察し部下の本心、本性を把握することが求められます。
「人を信ぜば即ち人に制せられむ(備内編)」
韓非子では君主が人を信用しすぎることで主導権を取られ問題の種になり得ると説いています。
君主と部下の上下関係においては肉親関係のような情のつながりはなく、基本的に部下は「自分の利益のために」君主に仕えている状態です。そのような状態で君主が用心なしに部下を信用しすぎると、部下はその信用につけこみます。
つけこむというのは表現が悪いかもしれません。しかし、人はリスクを背負うことがない緊張感のない状態においては自分本位にふるまいがち。
近年、有名なバイラルメディアに掲載されていた記事に他のメディアのコピペ記事が多く見られ、また誤謬に基づいた記事があまりにも多いことが物議を醸しました。
バイラルメディアから委託されたライターは少ない時間で記事を多く執筆するためにコピペをしたり事実確認をしていなかったためにそのような状況に至ったと言われています。また、バイラルメディア運営サイドがライターを信用し、コピペのチェックを甘くしていたことも問題だったとも言われています。
上記の様な問題は様々な仕事現場で起きているのではないでしょうか。信用すること自体が悪いわけではないのです。ただ、「人は自分の利益のために動く」ことを前提に置かなければならないでしょう。
部下を支配する拠り所となるのは、賞と罰を与える2つの権限のみ
「其の臣を制する所の者は二柄のみ。二柄とは刑徳なり。(二柄編)」
韓非子では君主が部下を支配するためには賞罰を与える権限を手放さないように説いています。
もし賞を与える権限、罰を与える権限のどちらか一方を手放すと君主が自分の君主としての立場を維持できなくなります。
春秋戦国時代の斉の君主の簡公に仕えた田常は簡公から自分へ与えられた俸禄や爵位を恩賞として自分の部下に回したり、人民に対して一定より多めの穀物を与えていました。
これは君主の簡公が持っている賞を与える権限を奪い取る行為に値します。その結果、田常は簡公に代わって部下、人民の支持を集めて簡公を失脚させる下剋上に成功したのです。
罰を与える権限も同様です。宋の桓公は「憎まれる役割は私にお任せください」という部下の子罕からの要請で罰を与える権限を子罕に委譲しました。結果、子罕はその権限を行使して桓公を脅すまでになり、最後には桓公の君主としての立場を追うことになったのです。
現代のビジネスでも賞罰をうまく使い分けるリーダーが活躍
リーダーとは一体何か、というテーマは今日においても議論され続けていることです。韓非子でのリーダーの定義は明快。リーダーとは賞罰を与える権限を持っており、かつ有効にその権限を活用できる人物のことです。
韓非子ではこんなたとえを用いています。虎が犬を負かすのは爪・牙があるからであり、爪・牙のない虎は犬にすら負かされるのです。
賞罰を与える権限のない君主は爪・牙のない虎と同じであり、部下に見限られ取って替わられます。
現代のビジネスにおいてもこの賞罰を上手く使い分けるリーダーが活躍しています。カルロス・ゴーン氏による日産のV字回復。そこには頑張れば報酬や良い待遇を得られる、気を抜いている人には厳しい指導が入る成果による賞罰をしっかりと機能させたことがあったようです。賞罰は使い様によって社員に健全な危機意識を持たせ、頑張れば報われるという意欲を最大限引き出すことに役立ちます。
昨今、どちらかと言えば人間の性善説を説く論語の方が注目を浴びています。しかし、ご紹介した韓非子の「人は自分の利益のために動く」という性悪説に対しても理解を深めることで、よりリアルな人間の本質に迫ることができるのではないでしょうか。
