最先端の行動遺伝学が示す「希望ある生き方」とは

私たちの人生は「遺伝子が全て決めている」のか?

遺伝子研究が進み、私たちの人生に遺伝子がどのような影響をもたらすのかが少しずつ明らかになっています。「私たちの人生は遺伝子が全て決めている」という語り口を聞いた人もいるかもしれません。

このようにわかりやすくまとめてしまうと、あたかも私たちが選択権のない「遺伝子の乗り物」のように聞こえてしまいます。

しかし遺伝子研究が導き出している事実はそんな虚無的で絶望的なものではなく、実はもっと「希望ある生き方」を提案するものなのです。ここでは行動遺伝学者であり教育心理学者でもある安藤寿康さんの著書『日本人の9割が知らない遺伝の真実』を参考に、行動遺伝学という分野から考える「希望ある生き方」を提案します。

行動遺伝学が示す「絶望的な」事実

遺伝と環境が認知能力や性格などにどのような影響を及ぼすかを研究する分野、それが行動遺伝学です。この分野が示す「希望ある生き方」について考える前に、まずは現在研究によって明らかになっている「絶望的な」事実について紹介します。

●ほとんどの能力には遺伝が影響している

身体面では体重と身長、指紋のパターンが90%以上。性格面では開拓性と勤勉性が50%以上、神経質さや外向性は40%以上。才能面では音楽センスが90%以上、執筆能力、数学センス、スポーツセンスは80%以上。

精神・発達障害面では投稿失調症やADHD(注意欠陥/多動性障害)が80%以上、打つ傾向は40%以上。これらはすべてそれぞれの形質における遺伝が占める割合です。他にも反社会性や学業成績、物質依存にも遺伝が一定割合関与していることがわかっています。

これらを明らかにしたのは「双生児法」と呼ばれる行動遺伝学の手法です。調査対象となるのは遺伝子配列が全く同じ一卵性双生児と、兄弟程度しか似ていない二卵性双生児。

何年何十年と対象者の人生を継続的に調査して、遺伝と環境が認知能力や性格のほか、収入や家族関係など人生全般にどのような影響を及ぼすのかを解明していくのが双生児法です。

この結果を見ると、私たちの持てる能力の大部分は遺伝によって強く影響を受けていることがわかります。「人間は平等である」という一般認識とは裏腹に、少なくとも遺伝子においては「人間は不平等」なのです。

●教育は遺伝的格差を広げている

文明社会では何か基本となる評価基準があり、それによって人生の良し悪しが概ね決まります。現代におけるその評価基準は、ずばり「知能」です。とりわけ日本は「学歴社会」という言葉にも表れているように、知能が高ければ高いほど収入や社会的地位も高くなります。

教育というのはこの知能を育て、重んじるシステムです。学校では「努力すればできる。できないのは努力できないからだ」と教え、あたかもスタートラインが同じであるかのようにふるまいます。

しかし遺伝子は不平等なので、生まれながらにして作文が得意な遺伝子を持つ子供、数学が得意な遺伝子を持つ子供がいます。残念ながらスタートラインは同じではありません。

知能という単一の基準で評価する以上、知能に関する遺伝子に恵まれなかった人間は教育の中でふるい落とされていきます。この意味で教育は、生まれつきの遺伝的格差をどんどん広げてしまうシステムなのです。これは学校教育に良い思い出のある人ほど、ショッキングに感じる事実ではないでしょうか。

●「報われない努力」はある

「努力すればできる。できないのは努力できないからだ」というマインドは学校の中だけでなく、社会の中にも浸透しています。しかし遺伝子が能力に強い影響力を持っているのであれば、「報われない努力」が存在することになります。先ほどのデータをもとにすれば、特に執筆・数学・スポーツの分野ではその差が顕著になるでしょう。

これが示しているのは、科学による「才能がない者がいくら努力しても、それが実を結ぶことはない」と結論です。「努力は全て報われる」と無垢に信じている大人は少ないでしょうが、その反面どこかでそう信じたい人も多いはず。ところが科学はその可能性を否定してしまったのです。

「人生は遺伝が決める」の本当の意味

行動遺伝学が解明しているのは、実はこうした絶望的な事実はだけではありません。以下では「人生は遺伝が決める」というわかりやすい結論の、本当の意味を解説します。

●遺伝は遺伝しない?

「人生は遺伝が決める」というと、まず頭に浮かぶのは「親の遺伝子次第で子の人生も決まる」という発想です。しかし実際は親の遺伝子と全く同じ形質を持つ子供が生まれるケースは、極めて稀です。安藤さんはこのことを指して「遺伝は遺伝しない」と書いています。

私たちは2人の親の遺伝子を半分ずつ受け継いで生まれてきます。子供の遺伝子の形質は、このときどの遺伝子を受け継ぐかによって決まります。この選択肢が3つや5つなら、比較的高い確率で遺伝は遺伝するでしょう。

ところが現実には何十何百もの選択肢の中からランダムに選ばれるのです。そのため平均以下の遺伝子を持つ親からも平均以上の遺伝子を持った子が生まれる可能性もありますし、その逆も然りです。

●遺伝子の「良し悪し」は判断が難しい

また遺伝子の中には一見するとマイナス要素にもかかわらず、環境と他の遺伝子との組み合わせ次第ではプラス要素に変わる遺伝子もあります。

例えば発症すると成人までに死に至る遺伝病の一つ「鎌状赤血球貧血症」の遺伝子は、別の遺伝子と組み合わされるとマラリアにかかりくくなる抗マラリア遺伝子になることがわかっています。あるいは「内向的」「神経質」という一見マイナス要素の形質でも、伝統工芸のような細かい作業においてはプラス要素に変わります。

このように遺伝子の良し悪しは多面的で、ある場面ではマイナス要素でも別の場面ではプラス要素に変わってしまうのです。

●勉強・教育・努力は「100%無駄」ではない

先ほど「才能がない者がいくら努力しても、それが実を結ぶことはない」と書きました。では勉強や教育、努力など後天的なアクションが100%無駄なのかというと、それは違います。どんなに遺伝的に恵まれていても、後天的なアクションなしに才能を開花させるのは困難です。

学力や知能、才能が遺伝に左右されるというのは、あくまで全く同じ条件で勉強や教育、努力をしたときに、どれだけの結果が出せるのかという意味です。確かに凡才は天才と同じ結果は出せませんが、だからといって後天的なアクションが全て無駄になるわけではありません。

重要なのは「自分の才能に見合った結果」を見極めること。それさえできれば無駄な努力を積み重ねなくて済み、かつ最大限の結果を出せます。

行動遺伝学が示しているのは「希望」

人生は確かに遺伝によって強い影響を受けています。。しかしその遺伝の良し悪しは生まれで決まるわけでもなく、「常に良い遺伝子」「常に悪い遺伝子」とはっきり判別できるわけでもありません。

さらには優秀な遺伝子がないからといって努力が全て無駄になるわけでもありません。ここではこうした遺伝子の側面を、「希望ある生き方」に生かす考え方を解説します。それはすなわち「自分の才能を生かす道を探し続ける生き方」です。

●「遺伝的に向いていること」に時間を注ごう

行動遺伝学の見地から安藤さんが推測するには、人間の個体の「その人らしさ」は12歳ごろから徐々に発現しはじめて、20歳くらいまでの間に確立していくのだといいます。

だとすれば20代後半や30代にもなれば、ほぼその人らしさは確立しており、よほどのことがない限り激変はしないと考えていいでしょう。これはつまり、現時点である程度時間をかけたにもかかわらず、ものになっていない仕事や趣味などは、遺伝的にできない可能性が高いということです。

その仕事に誇りを持っていたり、好きでやっている趣味ならば人生をかけて続けても構いません。前述したようにその努力が無駄になるわけではないからです。しかし「もっと自分に価値を感じたい」「充実感を得たい」という願望があるのならば、自分の遺伝子に合った仕事や趣味に切り替えるべきでしょう。

●「遺伝的に向いていること」の見つけ方

遺伝子検査技術は日々進歩しており、将来的には実用化も可能です。しかし現時点では高い確率でその人の向いている仕事などを言い当てることはできません。

安藤さんは著書の中で遺伝子分析サービスに触れつつ、現状これらのサービスは「科学的な装いの占い」くらいに捉えるのが賢明だと忠告しています。ではどうすれば「遺伝的に向いていること」を見つけられるのでしょうか。

遺伝子の持つ形質は環境によって発現します。それがスポーツや芸術などの比較的わかりやすいものならすぐ見つかるかもしれませんが、普通はそう簡単にはいきません。したがって「遺伝的に向いていること」を見つけるためには、とにかく自分の環境を変えて経験や出会いを繰り返し、見つけていくしかないのです。

しかしその時の指標はあります。長年継続している習慣や、自然とやっていることです。まずはこれらを指標として新しい環境に身を投じてみましょう。きっとそこから今より充実した人生が始まるはずです。

この事実を知ったうえで、どう生きるのか?

・人生は遺伝によって大きく左右されている。
・「遺伝的に向いていないこと」で努力しても、大きな成功は難しい。
・「遺伝的に向いていること」は探せば見つかる可能性が高い。

これらは改めて科学が証明せずとも、私たちが薄々感づいていたことです。どこかで「努力は報われる」と信じたくて、見て見ぬ振りをしてきただけです。ところが今や行動遺伝学はそれを科学的事実として提示しました。

私たちは遺伝子に操作される「遺伝子の乗り物」ではありません。しかし遺伝子が確実に私たちの人生に関与していること、そして「向いていないことへの努力に苦痛を感じているなら、向いていることを探す自由があるし、そこには希望もある」ということは事実です。ここから先はそれぞれの自由です。さて、みなさんはこれからどのように生きますか?

参考文献『日本人の9割が知らない遺伝の真実』

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遺伝についてわかっていることは客観的に受けとめて、そこから自分で変えられる部分に注目していきましょう。
[文]鈴木 直人 [編集]サムライト編集部