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「週刊文春」に哲学はあるか?
2016年、数々のスクープで世間を賑わし、「センテンススプリング」「文春砲」が流行語大賞にも選ばれた「週刊文春」。特に好感度抜群の女性タレントの不倫報道については、「やりすぎ」との声も挙がりました。果たして13年連続総合週刊誌の実売部数No.1に君臨するこの雑誌に哲学はあるのでしょうか。
ここでは「週刊文春」編集長の新谷学さんの著書『「週刊文春」編集長の仕事術』の中から、情報収集・企画・リスク管理における同誌の哲学を紹介します。そこには出版業界以外にも通じるビジネスのエッセンスがありました。
「情報収集」は人間同士のつながりから
事件の当事者である人間そのものと真正面から向き合って、人間対人間のとことん深い付き合いをして信頼関係を得た上で口説かなければ、本当の情報は取れない。
引用:前掲書p17
新谷さんは「人脈」という言い方を嫌います。そこには利害関係の臭いがするからです。人間関係は直接会い、1対1で話すからこそ育まれるものだと考えているそうです。だからこそ、ここぞという時に人一人の人生を左右するような、しかし公益性がある情報が手に入るのです。
●「すごい人」の共通点
そんな新谷さんが「すごい人」の共通点として挙げるのが、「社交辞令で終わらない」ことです。「今度飲みに行きましょう」は一般的なビジネスマンがよく使う社交辞令ですが、各界のキーマンは決まってこれを社交辞令で終わらせず、すぐに「いつにする?」という具体的な話に落とし込むのだそうです。これは単なる会食だけでなく、仕事の話でも同じです。新谷さんが人の紹介を頼むと、その場で電話をかけて取り次ぐ。このスピード感がキーマンとなる器を持つ人の共通点なのです。
また「肩書きで人と付き合わない」という点も、キーマンの共通点です。新谷さんはある組織の広報課長のポストに注目しており、そのポストに就いた人物とは歴代で交流を持っているそうです。その中でも気の合う人とは、広報課長のポストから外れた後も交流を持ちます。この時あくまでも「広報課長と記者」の関係で付き合う人間なのか、「人間と人間」で付き合う人間なのかによってその後の出世に大きく違いがでるのだと、新谷さんは言います。
●敬意と迎合の区別をつける
とはいえ職業柄、そうした交流を持つ相手のスクープを報道しなければならない場面もあります。そのため新谷さんは「敬意は払っても迎合はしない」をコンセプトに人間関係を築いています。もちろん迎合してほしい人もいるので、そういう人は新谷さんと交流を持つことを嫌がります。しかし一定の敬意を払っていれば、器の大きな人はむしろ「面白いやつだ」と可愛がってくれるでしょう。この姿勢こそが「週刊文春」のスクープを支えるバランス感覚なのかもしれません。
「ベスト」を諦めるな!文春流企画術

『「週刊文春」編集長の仕事術』に書かれている新谷さんの企画方針は企画術の本などでよく言われる、大勢が良しとする方向と逆の方向を模索せよというものです。しかしそこにあるのは他を出し抜くようなクレバーさではなく、「面白いものを見せてやろう」「これが実現したらどうなるだろう」というワクワク感を優先した過激さともいえるものです。
●「バズーカ砲」を諦めない
新谷さんがスポーツ雑誌「Number」をやっていた頃に、近鉄にラルフ・ブライアントというホームランバッターがいました。新谷さんは彼を中心にホームラン礼賛の特集企画を提案したところ、これが通過します。編集長に直談判してデスクの座を射止めると、さっそく表紙の作成にとりかかります。のちに宇多田ヒカルの「First Love」のジャケットを撮ることになる久家靖秀さんにカメラマンを頼んだところ、久家さんはこう言い放ちます。
「やっぱりブライアントは過剰なイメージがあるから、バズーカ砲じゃねえか」
引用:前掲書p65
普通ならここで「何言ってんですか、真面目に考えてください」と却下するところです。しかし新谷さんはビートたけしさんのテレビ番組でバズーカ砲を使っているコーナー(「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の「早朝バズーカ」)を思い出し、すぐにテレビ局に問い合わせます。埼玉の鉄工所が趣味で作っているものを使っていることを突き止めると、鉄工所に赴いて見事バズーカ砲を調達。結果久家さんのとんでもないアイディアは実現し、抜群にかっこいいビジュアルを「Number」に飾ったのでした。
●「ベストの選択」を追求せよ
こうした過激ともいえる企画に重要なものを、新谷さんは「ベストの選択」だと言います。これはすなわち「この条件が揃えば最高の結果が出せる(大スクープになる)」と考えたら、その条件から逃げ出さずに揃えることです。これができないと、企画はどこかで見たような「それっぽいもの」にしかなりません。
確かに結果が読めないものに時間や労力、費用を投資するのはリスクがあります。しかしそのリスクを取らなければ、大きな先行者利益の獲得もかないません。新谷さんがこの姿勢を貫けるのは、最悪の事態を想定しながらも常に「いちばんうまくいったら、最高の到達点はどこだろう」とイメージしているからです。そして結果とはたいていベストとワーストの間で起きるものだと信じているからです。
組織によってはこうした考え方を実践するのは難しいかもしれませんが、成功するためにはどこかに必ず持っておくべきマインドといえるでしょう。
「論よりファクト」リスク管理は最低限に
こうした姿勢で企画して週刊誌を作る以上、リスク管理の基準を高く設定しすぎるわけにはいきません。どんなに柔軟で型破りな企画があっても、コンプライアンスや予算の壁に阻まれて日の目を見ないからです。そんなことを続けていては、すぐに面白い企画は出なくなります。
●「ネタは金で買わない」というリスク管理
では「週刊文春」はどのようなリスク管理をしているのでしょうか。第一に「週刊文春」は「ネタは金で買わない」という方針を大前提としています。というのもお金を動機に情報提供をしようとする人は、お金のために情報を偽ったり、誤魔化したりする危険があるからです。そのため情報提供者には「なぜ情報提供をしようと思ったのか」を丁寧に聞くのだそうです。
●「ファクト」で勝負!
また同誌は何か意図を持って記事を書くのではなく、「ファクト」の提示だけで勝負しています。例えばある政治家が失脚するような情報をスクープしたとしても、「この政治家は失脚すべきだ!」という論を述べるのではなく、「公費で温泉に行っていましたよ」というファクトの提示だけにとどめます。
これは新谷さんの根底に自分たちを「たかが週刊誌」だと謙虚に考える姿勢があるからです。もちろんそうした報道が本当に政治家の失脚やタレントの批判に繋がることはあります。しかしあくまで「週刊文春」はファクトを提示しているだけなのです。
これは週刊誌としての哲学を示すと同時に、リスク管理にも役立っています。スクープ記事には常に名誉毀損などの訴訟リスクがつきまといますが、きちんとした手続きを踏んでファクトだけを提示していれば、裁判で負けにくくなるからです。さらにちょっとでも訴訟リスクがあるとデスクが考える記事については、顧問弁護士に直接記事を読んでもらい、そのアドバイス通りにするのだそうです。
●「白くする取材」でバイアスを排除する
同時に新谷さんは「白くする取材」の必要性にも言及しています。白くする取材とはいったん取材対象者を「黒」だと判断して情報収集をしたあと、「白」であることを前提にもう一度全体を見直すことです。
人間は「こうあってほしい」と思うほど先入観が生まれ、事実を捻じ曲げてしまいます。もし事実を都合のいいように捻じ曲げた記事を世に出せば、週刊誌としての名折れ。白くする取材はそのためのリスク管理です。
こうした最低限かつ的を射たリスク管理が、「週刊文春」のアグレッシブなジャーナリズムにつながっているのです。
週刊誌のジャーナリズムはビジネスに通ず
「面白い情報を世間に提供したい」これはメーカーやサービス業に言い換えれば「あっと驚くような商品(サービス)を発表したい」と同じことです。「週刊文春」は最低限のリスク管理をしながら社会的にギリギリのラインを攻めているからこそ、一般週刊誌の世界で長年王座に君臨し続けているのです。
同誌のジャーナリズムには賛否両論あって当然ですが、この姿勢は他のビジネス全般にも通じるところが多いにあります。学ぶところがあると感じた人は、「週刊文春」的な働き方を自分の仕事にもぜひ取り入れてみてください。
参考文献『「週刊文春」編集長の仕事術』

